2006年06月15日

Ho Eng Dji著「Bunga Sibollo」発刊の会

マカッサルの友人から、Ho Eng Dji著「Bunga Sibollo」発刊の会(6月15日、マカッサル)に関するお知らせが来ました。超ショートノーティスですが、マカッサル在住の邦人の方で興味のある方は、是非ご参加ください。

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以下、パンフレットのインドネシア語の日本語訳を掲載します。


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2006年06月08日

Jogja Heritage Societyウェブサイト

ジャワ地震被災支援を呼びかけているJogja Heritage Societyのウェブサイトが立ち上がりました。以下へアクセスしてみてください。

Jogja Heritage Society

義援金の受付も開始されました。郵便振替口座は以下のとおりです。

建築遺産、史跡復旧に関する支援
Jogja Heritage Society が中心に活動を行います。
義援金の送金先:
郵便振替口座名称:ジャワ震災史跡復旧支援
口座番号:00160−8−631171
*義援金は全てJogja Heritage Society に手渡します。


ジャワ震災生業復興支援に関する支援
*Yayasan Royal Silk が中心に活動を行ないます。
義援金の送金先:
郵便振替口座名称:ジャワ震災復興支援
口座番号:00130−8−610726

Jogja Heritage Society代表のSita女史から、最新の状況に関する英文のメールが届きました。以下をご覧ください。

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2006年05月29日

ジョグジャで地震、各地から救援の動き

5月27日午前5時過ぎ、ジョグジャカルタ南部、とくにバントゥル県を襲ったマグニチュード6.3の直下型地震。死者の数が現時点で5000人を超え、まだ増えそうな勢いです。

インドネシア・ファンの我々としてどのような支援を行っていけばよいのか。義捐金を送る以外に現時点ではこれといった妙案が浮かばず、悶々としていたところ、インドネシア各地で救援物資をジョグジャカルタ周辺の現場へ送る動きが広がっていることが報道されています。

Serambi Indonesia: Warga Aceh Himpun Bantuan untuk Yogya

なかでも、2004年12月26日に大津波で10万人以上の犠牲者を出したアチェでも救援物資が集まられ、被災地へ送る手はずが整ってきていることが伝えられています。28日までに義捐金が1億5000万ルピア集まり、ナングロ・アチェ・ダルサラーム州政府も12億5000万ルピア分の救援物資・金銭を送る予定です。また、テントや食糧を運ぶ救援隊が30日にアチェを出発します。デンマーク在住のアチェ人からも「アチェが大変だったときにジョグジャの人々が懸命に助けてくれた。今度は全アチェ住民が助ける番だ」と支援が寄せられています。

インドネシアという一体感は、こうした動きのなかから自然にそして着実に培われていくものではないか。決して為政者が強権を発動しなければ醸成できないものではない、と感じます。一皮向けて成熟し始めたインドネシア社会の確かさを印象づける動きでしょうか。

外国からの支援がこうした内発的な動きを阻害せず、逆にいっそう促すような方向で作用してほしいものだと考えています。


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2006年04月18日

16日はジャランジャラン

一緒に来ているJICAミッションの皆さんを連れて歩きました。

まず、Jl. Sulawesiの行きつけの店でお粥を食べ、ホテルで車を借りて、バンティムルンへ。例によって、地元の行楽客で大賑わいでしたが、雨期の終わりで滝は豪快でした。

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「石の洞窟」を見てから、バンティムルンを離れ、途中でロティ・マロスとジャランコテ189を買って食べながら、再びJl. Sulawesiでワンタンメンを食べました。

それからニュータウンのタンジュンブンガへ行って、海岸で佇んだ後、タンジュンブンガ・モールでお買い物をして、今最も賑わっているパナクカン・モールへ。タンジュンブンガ・モールもオープンしてまだ2年なのに、2つのモールのあまりの違いに驚きました。

午後5時を回ったところで、パナクカンで通り雨に降られながら、「まだ間に合う」と夕日を見るために海岸通のホテル・パンタイ・ガプラの「やぐら」の上へ登って、レモンスカッシュを飲みながら、夕日を拝みました。今回の夕日は、雲の色がとても印象的な夕日でした。段々に赤く染まってゆく空の色を見ながら、ちょうどよい心地で吹いてくる浜風を感じる、気持ちのいい夕方でした。

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ほんと、これだから、マカッサルはやめられません。

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2006年04月15日

マカッサルに着きました

14日夕方、マカッサルに着きました。到着直前のマカッサルは大雨+大風で、2機が着陸できずに引き返したとのこと。私の乗った飛行機が到着したときには、雨も止んで、涼しくなっていました。

空港から市内までの道路は、2車線を4車線に広げるための準備が始まっていましたが、現在の道自体は雨期の激しい雨の影響でガタガタになっている箇所がありました。相変わらず、沿道で牛やヤギがブラブラしているのどかな道路です。

市内に入ると、Jl. Sulawesiにセンターラインがひかれていて、左側車線に駐車可能なスペースが設けられていました。Jl. Botolenpanganにもセンターラインがひかれていました。マカッサル市庁舎は高層の新庁舎が建設中です。

写真は15日朝、宿泊先のHotel Sahid Makassarから撮ったマカッサル市内です。

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2006年04月12日

大雨と大渋滞

早速、今日(11日)からお仕事の活動を開始しました。アポは全部取ってもらい、しかもアテンドされる側なので、今回は本当に「大名」みたいなものです。何となく、いつも自分で全部やっているので、逆に居心地が悪かったりします。でも、レストラン選びだけは任されています。

内務省でヒアリングをしている間に、ものすごい雨が降り始めました。案の定、道路は大渋滞。独立記念塔公園の北側にある内務省からぐるっと回ってタムリン通り(独立記念塔公園の西側道路)へ入るまでに1時間半かかり、夕方4時半の国家開発企画庁のアポはキャンセルとなりました。

写真は、上がトランスジャカルタのバス停でバスを待つ人々、下が大渋滞の中で車の列の合間にバイクが入り込んでいる様子です。日暮れ直前、ISO400で撮ったのであんまりうまく写っていませんが・・・。

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2006年04月11日

久々にインドネシア

昨年9月初め以来、久々のインドネシアへ来ています。今日、ジャカルタに到着しました。今回は、JICAのお仕事で、22日に帰国します。

やはりこの、肌にまとわりつくような熱帯の湿気がたまらなく好きです。このところ、日本で今までになく精神状態が不安定になっていたので、こちらで元に戻れれば、と思っていたのですが・・・。

ホテル・ニッコーで本館でもインターネットに容易につなげられるようになったのはよかったのですが、さっそく、仕事上のメールを読んで、再び、自分の能力不足を感じ、急激に落ち込んでしまいました。つながる、っていうのも、よしあしですよねえ。

そういえば、市内を流すメータータクシーがみんな青色になり、優良タクシーで名高いブルーバードと同色になりました。そして車の上の標識ランプも、よく見ないと区別ができないほど似せています。流しでブルーバード・タクシーの「本物」を掴まえるのは至難の業になったようです。



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2006年02月21日

『世界を震撼させたアチェ津波』発刊

私も関わっているジャパン・アチェ・ネット(JAN)からのお知らせです。

2004年12月26日に起こったアチェ大地震・津波の全容をまとめた記録集(インドネシア語)が、JANの協力で、インドネシア・アチェの地元紙『スランビ・インドネシア』から出版されました。あの災害の経験を忘れることなく、インドネシアの人々の記憶にしっかり残ってほしいとの願いを込めての出版です。

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JAN(ジャパン・アチェ・ネット)が全額資金援助を行い、アチェ州の最有力日刊紙『Serambi Indonesia(SI)』が、歴史的大被害をもたらしたスマトラ島沖大地震・巨大津波の全貌をまとめた待望の書が、2006年2月20日、同紙の新社屋落成式典と時を同じくして、州都バンダアチェで出版されました。初版1,000冊の内、150冊は、州内やインドネシア国内の公的図書館に寄贈され、100冊は、JANが日本国内で販売します。また残りの750冊は、同紙がグラメディア系書店を通じて販売し、諸経費を除いた売上代金は、将来の支援プログラムに活用されます。

この『世界を震撼させたアチェ津波』は、JANにとって、ASA(Aliansi Sastrawan Aceh=アチェ文学者連盟)と共同出版したアチェ詩集全集の『LAGU KELU (慟哭の詩)』、そして日本で編集・出版したドキュメンタリー絵本『Nyawoung(いのち)』に次ぐ、支援プログラム第三冊目の書籍となります。

全335ページ。インドネシア語。前兆現象に関する証言や、九死に一生を得た人々の貴重な体験談が、大地震&巨大津波の実像を生々しく再現しています。また救援活動にあたった国内外の支援グループの活動状況や、復興過程、そして数々の問題点、さらには未来の防災に対する警鐘など、まさに“被災者であると同時に報道に携わった唯一の者”である記者たちが“現場”で書き上げた渾身のドキュメンタリー書です。

【価格】\5,000# + 郵送料(\310#) =\5,310#

【購入方法】
郵便振替口座
口座番号: 00190-5-544521
加入者名: インドネシア文化宮(尚、通信欄に「アチェ津波」とご記入下さい)

【売上金の使途】
売上代金は、その全額が、JAN(ジャパン・アチェ・ネット)を通じて、地元紙『スランビ・インドネシア(SI)』との連携で進められているアチェ支援プログラムに使われます。

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2006年01月29日

中国正月+大雨、今年は豊作?

中国正月に雨が降ると、その年の農産物の作柄は豊作、と言われています。今年の雨期は、尋常ではなく雨が降っている様子。南スラウェシ州のマロス県やゴア県では土砂崩れの被害が出ています。

数年前から祝日となり、にぎやかになったインドネシアの中国正月。バロンサイと呼ばれる獅子舞も路上行進も復活しました。かつてスハルト時代にひっそりと身内だけで目立たないように執り行っていたのが全くうそのようです。来年は、マカッサルの現場からお伝えできることを祈っています。

以下は地元紙Fajarから採った写真です。

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2006年01月13日

スラウェシからも石油ガス産出

スラウェシも石油ガスの産出地に仲間入り、です。

中スラウェシ州バンガイ県とモロワリ県にまたがるセノロ=トイリ鉱区(451km2)で、同鉱区のティアカ油田で2005年12月末までに産出された原油15万5377バレルのうちの7万5000バレルが、1月12日にタンカーでプラジュにあるプルタミナの製油所へ向けて搬出されました。

同鉱区からはLNGの産出も予定されています。いったんは経済性がないとして開発が見送られた鉱区ですが、今後はどうなるのでしょうか。

出所:Kompas
http://www.kompas.com/kompas-cetak/0601/13/ekonomi/2359510.htm

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2005年12月12日

バイオディーゼルを本格生産

12月12日付の「じゃかるた新聞」のトップ記事に掲載されています。石油価格高騰に悩むインドネシアでも、こうした動きが起こっているのだなあと感心しました。

もっとも、バイオディーゼル精製がコミュニティ・レベルで地道に広がっていくことが望まれます。インドネシアは一般に食用油を使って揚げたり焼いたりしたものを食べているので、小さな村でもけっこうな量の食用油を日常生活で使っているのです。


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マカッサル市長、炭疽菌騒ぎ終結宣言

マカッサル市長は、1ヵ月ぶりに、「炭疽菌の影響はなくなった」と12月10日をもって炭疽菌騒ぎの終結を宣言した。同時に、「屠殺場からの肉を消費しても大丈夫」と述べた。

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2005年12月10日

I La Galigo、ジャカルタで公演

ブギス族の叙事詩I La Galigoをもとに演出された演劇I La Galigoの凱旋公演がインドネシアで始まりました(写真はKompasより)。

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2005年12月03日

JICAマカッサル事務所が開設へ

日本から発展途上国への技術協力を業務とする国際協力機構(JICA)が、首都ジャカルタ以外に、マカッサルにも事務所を開設します。2005年12月から準備を始め、2006年4月には正式開所となるようです。担当はインドネシア東部地域ということです。

場所は、サヒッド・ジャヤ・マカッサルのなかです。ここには昔、JICAのNGO支援社会福祉事業のオフィスがあって、3人の女性ローカル・スタッフが働いており、時々遊びに行きました。この3人、大学で日本文学を教えていたり、JICAプロジェクトのアシスタントになったり、とその後大活躍しています。

http://tribun-timur.com/view.php?id=12041
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2005年11月21日

中学の公民教科書

ジャカルタ在住の友人からこんな便りがありました。

インドネシアの新カリキュラム(2004年)での中学生向けの「公民」(Kewarganegaraan)の教科書をみると、第1章に「地方自治実施における住民参加」(Partisipasi Masyarakat dalam Pelaksanaan Otonomi Daerah)、第5章に「地方自治実施の基本となる地域文化価値を醸成する」(Mengembangkan Nilai-Nilai Budaya Daerah yang mendasari pelaksanaan otonomi daerah)とあり、ランプン、ジャワ、バリ、ミナンカバウ、マカッサルが例として挙げられているそうです。さらに、第4章は、「意見表明の自立」(Kemerdekaan mengemukakan Pendapat)となっています。

地方自治の着実な実施は国家の規定路線となり、地方分権化が着実に浸透していることの表れと見えます。権威主義に基づき、画一的な国家政策を強いてきたかつてのインドネシアとは異なる、新しいインドネシアへ向けてのステップ、と考えたいところですが、旧来の教育の先頭に立ってきた教員の側がついていけるのか、心配です。新カリキュラムに合わせた教員の再研修が緊要と強く感じます。



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2005年11月18日

マカッサルのサンセットクルーズ

スラウェシ島情報マガジンからの情報です(こちらをご覧ください)。

マカッサルの夕陽は本当にすばらしいです。日本で見るのとは全然違います。しかも、それを洋上から見るなんて何と贅沢なこと・・・。

ただ、乾季はヘイズの影響で、水平線に届く前に太陽が消えてなくなってしまうことがしばしばでした。

是非、マカッサルの夕陽をご自分の目で確かめてみてください。以下は、私が2003年8月に撮ったマカッサルの夕陽です。

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マカッサルで炭疽菌による被害

鳥インフルエンザの陰であまり目立たないが、マカッサルでは炭疽菌の被害が発生している。

17日付Tribun Timurによると、少なくとも4人が感染し、うち3歳児が重症。対処のためのワクチンが足りないなどがマスコミで指摘されている。マカッサル海峡を隔てた東カリマンタン州は、南スラウェシ州からの家畜の移入を禁止する措置を講じた。

http://tribun-timur.com/view.php?id=10848&jenis=Front
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2005年11月10日

アズハリ容疑者、自爆か

ジュマア・イスラミアの幹部とされ、バリ島爆破テロなどに関わった疑いのあるアズハリ容疑者が国家警察反テロ部隊との銃撃戦で、自爆したとの見方が現地では強まっている。アズハリ容疑者は部下ら総勢12人で東ジャワ州バトゥ市のフランボヤン住宅地の住宅に3ヵ月前から滞在していたが、9日に警察部隊が急襲した。

アズハリとともに指名手配中のヌールディン・トップのスマランの潜伏先も9日に警察部隊に急襲され、ヌールディンは逃げたが、彼の部下が逮捕され、アズハリの潜伏先が割り出された模様。

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2005年11月09日

ボアレモ県職員、刑務所で研修

ゴロンタロ州ボアレモ県知事は、このほど県職員を刑務所へ連れて行って視察研修を行なった。

刑務所の受刑者の人権状態を学ぶ、といった目的かと思ったら、そうではなかった。刑務所の受刑者の劣悪な環境を見せながら、「汚職をするとこういう目にあうのだ」という見せしめのために職員を連れて行ったのであった。

ボアレモ県では、県幹部の執務室の入口にその幹部の給与や手当の一覧表を貼り、幹部のパフォーマンスと収入とのバランスを誰もが判断できる、といったトランスペアレンシーを重視する試みを実施してきた。実に面白い県である。

2005年11月8日付Kompasの記事より。

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2005年11月05日

プリペイド携帯電話の使用者登録、義務付け

インドネシアの携帯電話で無責任なSMS送信が問題になっている。とくに、宗教、種族といったセンシティブな内容を含んだ匿名のSMSが送られて、社会に動揺を与えようとする動きがある、という。テロ対策の意味もあるのだろう。

このため、通信情報大臣決定2005年第23号により、このほど、インドネシアにおけるプリペイド携帯電話番号には使用者名を明記することが義務付けられた。2006年4月までにプリペイド携帯番号の使用者は名前を登録しなければならなくなった。

ただし、どこに登録するのかについては現時点では不明。政府は、登録を促すためのインセンティブを携帯電話会社に求めているので、おそらく、携帯電話会社へ登録することになるのであろう。

今後、インドネシアでプリペイド携帯電話を利用する場合には、名前等を登録する必要があるので、注意が必要である。

関連記事(detik.com)

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