2008年01月17日

同じ雨季なのに・・・

先ほど、ジャカルタに着いた。今、某高級ホテルのコーヒーショップで書いている。今回は明日、農業省で一村一品運動のプレゼンを行うための出張。初めての先方費用持ちの出張である。

出てくる直前のマカッサル空港は視界が効かない激しい雨と風で、滑走路上で10分近く待機してから離陸した。ジャカルタに着くと、晴れ。しかも暑い。タクシーの運ちゃんによると、ここ2週間、雨らしい雨がないとか。マカッサルでは、1日に1回ぐらい晴れ間が見える、という感じなのに。

同じ雨季なのに、この違い・・・。マカッサルは、洗濯物の乾かない日々が続く。
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2007年12月09日

ジャヤプラから国境を見てきた

ここ数週間、ブログの更新を怠ってしまった。体調を崩してそれが長引いてしまったこと、パプア州ジャヤプラへ出かけていたこと、インターネットがなかなかつながらないこと、など諸々の要因があった。

12月4〜7日にジャヤプラへ行ってきた。そこの大学で特別講義をするためだった。「分離独立という言葉を安易に放つことによって、自分の足元を見なくなり、地道な地域開発努力を怠ってしまっている」などと辛口の意見も授業で披露してしまった。自分たちの歴史はヨソ者によって蹂躙され、何も残っていない、という彼ら。「ならば、今日の今この時から1日ずつ記録を残し、10年、20年と積み重ねて、自分たち自身の歴史を作っていこうではないか」とも呼びかけてしまった。

パプアの人々の根っ子を生やし、それを育てていくことが、次の、そしてそのさらに次の世代の将来のために必要だということを強調したが、被害者意識に彩られ、手っ取り早く、ヨソ者から獲れるものを獲る、という姿勢を地道な活動へ変化させていくのは、容易ではないと痛感した。

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ジャヤプラ中心街をテレビ塔のある丘から眺める

そんな講義の合間に、パプア・ニューギニアとの国境を見に行ってきた。ジャヤプラの手前のアベプラから車で約1時間半。想像以上に舗装がよく、快適なドライブだった。

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2007年09月23日

オエルナシ村にて

9月18〜21日に東ヌサトゥンガラ州クパンへ行った。州政府とGTZが主催するセミナーで講演することが目的だったが、20日午前中にクパン県のオエルナシ(Oelnasi)村を訪問した。

この村のメリアヌス・トイ村長とは、昨年12月、ゴロンタロで行われたJICAのセミナーでお会いしたことがあり、そのときは、民族衣装を身にまとって、高校生たちに噛みタバコや村の産物について大声で説明していた。

幸運にも村長は私のことを覚えてくれていて、大きな木の下の木陰で止まることなく村の話を聞かせてくれた。木陰を渡る風はさわやかで、乾燥しきった大地とは対照的に、快適な時間を過ごすことができた。

村長はまず、村の生活に地域資源がいかに重要かについて話をしてくれた。ロンタラ椰子は飲用以外に家の建築材など様々に利用される。下の写真は、樹液を採取しているロンタラ椰子の木である。ロンタラ椰子は、南スラウェシ州南西部の乾燥地帯にもよく見られるが、こちらのほうが葉が大きく、緑が多いような気がする。ロンタラ椰子にも様々な種類があるのだろう。

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2007年08月17日

ボゴール植物園

日本の夏休みを利用して妻子がインドネシアへ来たことを契機に、娘のリクエストもあって、家族でボゴール植物園を2日間散策した。ボゴールに2泊したのは初めてだったし、ボゴール植物園をゆっくり歩いて回ったのも今回が初めてであった。

日差しは強いが、ベンチや木陰がたくさんあり、しかも風が気持ちよく、妻子にとってはあたかも猛暑の日本を離れて、常夏のインドネシアへ避暑に来たかのようだった。2日間ですべてを見尽くしたとはまだ言えないほどのコレクションである。

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ボゴール宮殿前の池に咲くスイレン。別の場所ではオオオニバスも

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2007年06月16日

ジャヤプラの味「パペダ」

先週6月7〜8日、パプア州のジャヤプラへ出張して来た。7日午前1時半マカッサル発のフライトで午前8時にジャヤプラ着。なかなかの強行日程だった。

ジャヤプラのセンタニ空港で目を見張ったのは、停まっている車の大半が新車だったこと。しかし、空港を出てすぐの橋はこの間の大雨で壊れ、山道を迂回してジャヤプラ市内へ向かった。途中、何度も洪水の跡をみたが、かなりの雨だったと想像できる。でも、ジャヤプラ周辺の大雨は、マカッサルで報道として目にすることはなかった。

知り合いのチェンデラワシ大学の先生にキャンパスを案内してもらった。事務棟からの眺望は見事だった。下の写真は、私がお気に入りのジャヤプラの観光名所、日本の天橋立を髣髴させるような小島が点々と続いて海に浮かぶ。その向こうの山の先はパプア・ニューギニアだ。国境まで車で1時間ちょっと、週末には多くのジャヤプラ市民が買出しに出かけるという。

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そして、1995年12月に初めてジャヤプラを訪問して以来、12年ぶりで「パペダ」を味わった。

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2007年06月09日

穏やかなアンボン

今週は、6月3〜5日にアンボン、7〜8日にジャヤプラへ出張した。仕事上の打ち合わせで、それぞれの大学の先生に会ってきた。その合間に、アンボンでは町の様子を見てきた。

アンボンへ来るのは1998年以来9年ぶりである。そのあと、1999年1月から数年にわたって住民間の抗争が続いた。日本を含め、多くの国ではまだ正式には渡航を奨励していない場所である。9年前とどんなふうに様子が変わっているのか、興味と不安が入り混じりながら、アンボンをベチャに乗って歩いてみた。そして、9年前に感じたような穏やかなアンボンが確実に復活してきている様子を確認することができた。もちろん、身に危険を感じるようなことは全くなかったことを付け加える。

その様子を、何枚かの写真で紹介する。

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バトゥメラ市場で愛嬌を振りまく女性商人たち


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2007年05月17日

ジャカルタ出張

5月8〜18日の予定で、ジャカルタに出張で来ている。ジャカルタで日本から来た勤務先のチームと合流して動いているのだ。久々のジャカルタ長期滞在だが、連日、何本ものアポイントメントが入って、マカッサルでの生活の何倍もの慌しさで毎日が過ぎていく。

立ち並ぶ高層ビル、寒すぎる屋内冷房、あちこちでの渋滞などなど、ジャカルタなら当たり前のことだと分かっていても、「ここはインドネシアではない」と感じてしまう光景にぶつかる。そして、日が経つにつれて、それが日常の現実として認識されていってしまうような感じを抱く。現場感覚が鈍っていくような・・・。

今回の出張で、日頃なかなか会えない方々とお会いすることができた。22年間インドネシアと付き合ってきて、初めて大統領府の敷地内に入るなど、面白い経験をすることもできた。ジャカルタで食べたいと思っていた美味しい食べ物も若干は味わえた。それでも、連日のアポや会議は少々閉口気味だ。マカッサルの我が家のお手伝いが作る料理が恋しい(もういわゆる「お袋の味」になっているのかもしれない)。

ジャカルタ滞在も残りあと2日。アポと会議はまだある。そして、これだけ長く滞在しているのに、また今回も会えない友人・知人が多数いる。ジャカルタに来るたびに、それがいつも心残りになるのだ。

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2007年03月13日

ニャレ大量出現は1ヵ月のずれ

2月7〜8日にニャレ出現を見越して出かけたロンボク。あのときは、このブログにも書いたように、少ししかニャレが現れなかった。ところが・・・。

先日、2月にロンボクでご一緒したI先生からメールが届き、3月8〜9日にニャレが大発生したとの連絡を受けた。2月のは「初めのニャレ」(nyale tunggak)、3月のは「端っこのニャレ」(nyale poto)と呼び、例年は前者のときにバウ・ニャレと呼ばれるお祭りをするのだが、今年は3月にそれを盛大に行ったそうだ。なぜ1ヵ月ずれたのか、その理由はよくわからない、とI先生はおっしゃる。

今回の3月のは「政府のニャレ」(nyale pemerintah)との別称もあり、「どうせ政府の言うことなんか・・・」といつもは政府を信じていない住民も、今回ばかりは政府を見直したかもしれない。
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2007年03月08日

交通機関の安全度は地に落ちた・・・

3月6日の西スマトラでの大地震の報道の熱が覚めやらないうちに、7日朝、ジョグジャカルタ空港でジャカルタ発のガルーダ機が着陸時に炎上し、133人の乗客・乗組員のうち、少なくとも21人が亡くなった。私もかつてお世話になったガジャマダ大学の元学長のクスナディ氏も同機に乗っていた様子で、安否が気遣われる(3月8日早朝、クスナディ氏の遺体が確認されました。享年80歳。謹んでご冥福をお祈りいたします)。

実は、私は6日夜のガルーダ便でジャカルタからマカッサルへ戻り、7日午前中に会議を済ませ、事故のニュースを聞いた後に、再びガルーダ機でジャカルタへ飛んだ。事故機と同じボーイング737-400機で。乗っている間はさすがに怖かった。8日夜に、またガルーダ機でマカッサルへ戻るのだが・・・。

今回は、レベルは低いが他よりはましということで、半ば強制的に信頼せざるを得なかったガルーダ機での事故。残念ながら、今や安全性に辛うじて期待を持てる航空会社は見当たらなくなった。ジャワで相次ぐ列車事故。そして度重なる船の事故。インドネシアの交通機関の安全度は残念ながら地に落ちた・・・。

こんなに交通機関の事故が多発している国が、世界中でインドネシア以外のほかにあるのだろうか。政府の再発防止への真剣な取り組みが感じられない。そして、それでも人々はそんな交通機関を利用して移動しなければならない。

インドネシア人は過去の苦い経験をすぐに忘れてしまうとよく言われるが、刹那的に忘れてくれればすべて済むというものではない。いわんや、テロリストやアメリカの陰謀のせいにするなど、言語道断である。

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2007年02月09日

ニャレを見にロンボクへ

2月5〜8日、ロンボク島へ行ってきた。1年に1度だけ現れるというニャレ(Nyale)を見るためである。恥ずかしながら、ロンボク島へ行くのは今回が初めてであった。

毎年、ニャレを見に来ていらっしゃるI先生に同行させていただき、ニャレについて様々なことを教えていただいた。ところで、ニャレとは一体何なのだろうか。

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夜明け前、海岸でニャレを探す人々(2007年2月8日)

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2007年01月31日

ジョグジャカルタ訪問(2)

1月28日は、友人とバントゥール周辺をまわった。まず、トランス・ローカルと呼ばれるジョグジャカルタ市内からの移住者の村・中カラン村を訪ねた。地震直後に19軒が崩壊し、その後55軒が崩れていったという。震災直後に入ってきたのは食事などを運んでくれたNGOで、州政府が来たのは震災5ヵ月後だったそうだ。このため、震災後3ヵ月間は赤十字などのテントで過ごし、2ヵ月前から州予算で45軒で家の建て直しを進めている。

ここは、金の繭をつくるクリキュラなどの野蚕を飼育するとともに、日本の支援で2003年から実のなる木を植林する事業を進めている。山の斜面には、カシューナッツやピーナッツが植えられていた。実はここは2004年にも訪れたことがあったのだが、そのときにはなかった畑が一面に広がっていた。

下の写真はピーナッツの花である。黄色の可愛い花が咲いていた。

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ジョグジャカルタ訪問(1)

1月27〜29日に、ジョグジャカルタへ行ってきた。昨年の震災後のコミュニティの復興状況を見たいと思ったからだ。とはいっても、私自身は震災直後の状況を見ていないので、どれがどのぐらい復興しているのか、実感が沸かない。それでも、一度自分の目で見てみたいと思った。

ジョグジャ在住の友人と一緒に、27日はクラテン周辺、28日はバントゥール周辺を駆け足でまわった。友人の話では、以前(昨年9月)にまわったときに比べると、かなり復旧している様子だという。

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2006年09月23日

ジャカルタの予定終了、マカッサルへ

ジャカルタでの手続は無事に終了した。内務省からのレターは9月21日午後にでましたが、ちょうどそのとき、内務省にはデモがかかっていて、正門から中に入れず、裏門から入った。

残りの手続は、マカッサルへ行ってからのイミグレと警察での手続が残っている。今回のジャカルタの手続で感じたのは、すべてがビジネスライクに進んだことだ。とくに警察では外国人専用窓口が設けられ、事務的に進められた。不当なカネを要求されたり、ネチネチ質問されることもなく、そういう意味ではハプニングがなく、ちょっと拍子抜け。改善されたといえばそうなのだろうが、インドネシアではなくなっていくような気もちょっとする。

滞在中に、1990-92年にジャカルタ滞在したときの下宿の「父母・弟妹」に会いに行ったり、LIPI副長官を務める友人一家と食事をしたりした。さっそく体重が1キロ増えたようだ。気をつけなければ。

今日、9月23日の昼の便でマカッサルへ移動する。マカッサルでは、いろいろ面白いエピソードが現れることを期待している。ただし、ブロードバンド環境構築に時間がかかると思われるので、しばし本ブログの更新は途切れがちになるだろう。

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2006年09月21日

Dapur Babah(2006年9月20日)

20日は、まず国家警察本部にSKJを取りに行きました。窓口で昨日の支払領収書を見せると、すぐにSKJを手渡してくれました。警察内のコピー屋でSKJをコピーした後、それを持ってLIPIへ。LIPIでは調査許可書と各機関(内務省、南スラウェシ州のイミグレ・警察、受け入れ先のハサヌディン大学)に渡す書状を渡され、この時点でLIPIでの手続は終了。調査許可書に記載された内容にしたがって、3ヶ月毎の報告書提出を求められます。

LIPIから内務省へ出向き、調査通知書(SPP)を申請。内務省を入ってすぐの高いビルの6階へ出向きましたが、看板がないのでうろうろしながら担当者に話をすると、それまで楽しくうだうだ話をしていた担当者が「明日発行でいいだろ?」といいながら、事務的に申請書受け取りの書類を作って「明日午後に」でおしまい。これで今日の手続は終了。

ちょうどお昼時だったので、Pasar BaruでMie Ayamを食べようと思い、内務省から歩き始めたら、Jl. Veteran Iの様子が変わったことに気づきました。かつて軒を並べていたKing、Queenといったインド料理レストランが姿を消し、イタリアンなどに加えて、創作ジャワ料理の店が並んでいました。その一つ、Dapur Babah Eliteに入ってみました。

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2006年09月20日

ジャカルタ手続1日目(9月19日)

ホテルのブロードバンド環境は快適です。こうやって、連続してブログの更新をするのもなかなか難しいものです。23日にマカッサルへ移りますが、移った当初はブログが途切れることになると思います。果たして、マカッサルで何とか満足のいくインターネット環境が構築できるのでしょうか。お楽しみ・・・です。

今日は、まず国家科学院(LIPI)に到着の報告をし、国家警察での移動証明(SKJ: Surat Keterangan Jalan)を発行してもらうためのレターを作ってもらいました。外国人研究者向けの手続の部屋は、これまでの7階から5階へ移っていました。手数料100ドル(相当額のルピアでもよいそうです)を払い、とくに問題はなかったのですが、私の大親友であるLIPI副長官から「よろしく」との電話をもらっていたことが分かり、協力課の課長に引き合わされ、しばし小1時間ほど楽しく歓談しました。

その後、国家警察へ向かったのですが、外国人管理部局の場所が分かり難く、結局国家警察の建物の周りをぐるりと回って、ちょうど正門の真後ろにある裏側から入りました。「外国人手続」と大きな看板の掲げてある部屋に入り、申請書をもらって書き込んだ後、写真2枚とLIPIでコピーされたパスポートと入国証の写しを提出、5万ルピアを払って、SKJは明日受け取りとなりました。申請書には、1990年に手続したときにあった「1965年9月30日にお前とお前の家族はどこにいて何をしていたか」といった質問は一切なく、極めて事務的にススーッと済んでしまいました。

というわけで今日の手続はここでストップなので、午後はじゃかるた新聞を訪問したり、20年来のお付き合いをしていて、かつてジャカルタ滞在のときに保証人にもなっていただいたハリリ・ハディさん(アジ研初代海外客員研究員でもある)の自宅を訪問し、旧交を温めるとともに、ポーランドやアメリカや日本に滞在した頃の彼の昔話を溢れるほど聞かせてもらいました。1年前に奥さんを亡くし、元気がないのではと心配しましたが、私の前では努めて明るく振舞ってくださいました。間もなく引越しで、料理人がやめていったとかで、同居している娘のエリスが作った夕食をご馳走になりました。ハリリさんは、今の家を購入してくださる方を探しておられるようでした。

ハリリさんの自宅へ行く途中、工事中の箇所をバイクが次々に通り過ぎていく光景(写真)に出会いました。何でも、クニンガンからラグナンまで新たにバスレーンを作るそうで、また渋滞が増える、とタクシーの運転手がこぼしていました。

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2006年09月19日

何事もなくジャカルタに到着

京成スカイライナー乗車中に、台風13号に伴う(と思われる)大雨にところところで見舞われながらも、成田空港に到着し、妻子の見送りを受けた後、何事もなくJL725便に乗り、何事もなく無事にジャカルタに到着しました。

入国審査では、外国から帰国したインドネシア人女性労働者たちの時間のかかる入国審査ブースに並んでしまい、時間がかかってしまいました。私の番では、審査官といつものようにたわいのない話をしつつ、届出先イミグレを「ジャカルタ」と書いた審査官の誤りを指摘してあげて「マカッサル」と書き直してもらった以外は、何事もなく通過しました。

今回のジャカルタでの滞在は22日までの5日間ですが、国家科学院(LIPI)、国家警察本部、内務省で調査ビザに関する各種手続を行い、マカッサルに着いた後でイミグレで手続をし、外国人居留登録(KITAS)を発行してもらう、という手順になります。

ジャカルタでは、ブロードバンド環境でSkypeを試してみたかったので、1泊税・サービス込み+朝食付で70米ドルのサリ・パシに泊まっています(自宅の妻子とSkypeでテレビ電話してみました。実用上とくに問題ない感じです)。1泊90ドル+税・サービスのニッコーよりはちょっとお得だったかもしれません。個人的には、サリ・パシの朝食のクロワッサンがすき、というのも選択の1つのポイントではあったのですが。ブロードバンド環境ということで、今回はいつもの定宿には泊まりませんでした。

ジャカルタについて最初の夕食。1人で食べる場合には、たいていJl. Hayam Wurukのクエティアウ屋に行きます。もちろん今回もそうで、あんかけクエティアウ(Kwetiaw Siram)とオレンジ水(Es Jeruk)で22,000ルピアでした。ここのあんかけクエティアウには臓物が色々入っていて、もやしと青菜が絶妙のバランスを醸しだします。店のおばさんによると、最近は日本人もよく来るのだとか。

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2006年07月26日

ゴロンタロで地震(7月23日)

7月23日現地時間午後3時過ぎに、スラウェシ島北部、トミニ湾内を震源とするマグニチュード6.6の地震が発生しました。津波発生を怖れた沿岸の住民が内陸へ避難するなど混乱が見られましたが、結局津波は発生せず、7月25日時点で、死傷者や崩壊家屋に関する情報は伝えられていません。

この地域では、1871年と1939年に大地震を経験し、とくに1939年のマグニチュード8.6の地震の際には、津波で甚大な被害を受けた経験を持っています。今回もその経験から、津波の可能性があると判断、地震発生後すぐに、ゴロンタロ州知事が関係県知事・市長に沿岸住民の避難を命じました。インドネシア気象庁も津波の可能性を伝えていましたが、結局、最終的には津波発生せずとの判断を示しました。

この地域は西からのユーラシア・プレート、東から太平洋プレート、北からフィリピン・プレートの3つのプレートがぶつかり合い、2000年にはこれがバンガイ諸島での大地震を引き起こし、クラカタウのように、トミニ湾の海底からウナウナ山を海面上に表出させるに至った、ということです。ただし、ぶつかり方の微妙な違いによって、津波が起こる場合と起こらない場合が現れてくるようです。

同様の規模の地震でも、500人以上が亡くなったジャワ南部海岸と被害が報告されていないトミニ湾周辺との差は、どこにあるのでしょうか。単に人口密度が違う、ということ以上に、比較検証される必要があると思います。

地震や津波の予想情報が携帯電話のSMSでいろいろ流れている様子で、なかには嘘の情報も少なくないようです。愉快犯が多いのでしょうか。地震・津波の予報は難しいというのに・・・。政府は、地震・津波情報をテレビやラジオで速報することを義務付ける方向です。正しい情報はSMSではなくテレビ・ラジオで、という風になっていくことが望まれますが、まだまだ紆余曲折は続くのでしょう。
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2006年07月19日

再び津波で379人が死亡

17日夕方、西ジャワ州南部のインド洋沖を震源とする複数回の大地震で津波が発生し、18日夕方までに379人が死亡した、と報じられています。

最も被害の大きかったのは、西ジャワ州チアミス県のパガンダラン海岸で、ここは国内外のサーファーにとって有名な場所であり、昔からインド洋側の有名な地元観光地でした。ヒッピー風の外国人の溜まり場としても知られています。

パガンダランを挟んで、西の西ジャワ州スカブミ県南岸から中ジャワ州チラチャップ県、同州クブメン県、ジョグジャカルタ特別州バントゥル県およびグヌンキドゥル県に至る南岸で、津波による死者が出ました。

残念ながら、今回、津波に対する警戒が少なかったようです。それは、過去の経験からの判断に誤りがあったということです。すなわち、今回、陸地では揺れがあまり大きくなかった。過去にはもっと大きい揺れを感じる地震を経験したが、そのときには津波は起こらなかった。今回はそのときよりも揺れが少なかったので、津波はきっと起こらないだろう、と。

先のジョグジャの地震のように、陸地を震源とする地震では揺れは大きいが津波は起こりません。しかし、海を震源とする地震では、陸地部での揺れが小さくとも、津波が起こる可能性が高い。テレビやラジオで、少なくとも震源がどこで、津波が起こる可能性があるかどうかぐらいを、地震発生後すぐに報じる仕組みを緊急に作る必要があると考えます。

驚くべきことに、首都ジャカルタにあるインドネシアの気象庁も、その根拠は分かりませんが、津波は起こらないと判断していた様子です。ジャカルタで揺れを感じたといっても、人によっては「大したことはない」と思っていた様子で、西ジャワ州南岸の惨事に思いを馳せる人は実はあまり多くなかったのかもしれません。アチェの場合と同様、インドネシアでの報道は、デティック・コムなどを除いて初動が遅く、日本では朝日新聞やNHKが速報を流していました。ジョグジャ地震のときとの差を感じました。

ジョグジャ地震のときとの差という面では、ユドヨノ大統領が現地視察を躊躇していることが19日早朝時点で報道されています。ジョグジャ地震の際にすぐに現地入りしたものの、指揮を十分に執れず、人気低迷に拍車をかけたことがあると思います。

こうした、一連の災害に対する政府やマスコミの関心の度合いや対応の違いを、インドネシア各地の人々はどのようにみているのでしょうか。今回の地震・津波について、何らかの募金活動等を行うべきかどうか、考えている時点で、すでにアチェやジョグジャのときとの温度差があるということになってしまうのかもしれません。





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2006年07月04日

南スラウェシ短編小説集

Gadogadoで紹介されていました。7月2日付Suara Pembaruanに掲載されています。

Cerita dari Sulawesi Selatan

この本の題名にもなっているSetapak Salirangを書いたNurhady Sirimorokは私の大事な友人の一人です。紹介文によると、学校へ行きたい子供の夢をかなえるためにがんばる父親の姿を描いた作品です(わたしもまだ本物を読んでいません・・・)。


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2006年06月22日

南スラウェシ州シンジャイ県などで大洪水

地元紙FAJARによると、昨日までにシンジャイ県だけで158名が死亡、多数の行方不明者が出ている模様です。158名のうち、洪水による死者は85名、土砂崩れによる死者は73名です。

FAJAR紙2006年6月22日関連記事(インドネシア語)

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FAJAR紙掲載の写真。運ばれた遺体を前に泣き叫ぶ被災者。


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