2008年03月26日

最近の私〜松山に来ている

しばらくブログを更新してこなかった。毎日のようにいろんなことがあったためだ。

14日にインドネシアから戻ってからというもの、小学校を卒業する娘の行事(もちつき大会や卒業式)に出たり、知り合いが撮った映画「オオカミの護符」の上映会や森の聞き書き甲子園フォーラムに出たり、妻と神楽坂で素敵なお店を見つけたり、といろいろあった。講演会も1本こなした。

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2008年02月22日

大分へ行ってきた

2月17〜19日は、インドネシア農業省視察団5人の要請で、一村一品運動に関する大分県への視察に随行した。一村一品運動は、今、様々な発展途上国で適用が試みられているが、表面的な理解のままに、形を真似ただけで進められる傾向も強いので、しっかり理解してもらいたいとの願いから、随行したものである。

おかげで、別府と由布院で久々に温泉に浸かることができた。この二つの温泉、肌に柔らかなあっさり感のあるお湯で、どちらも私の大好きな温泉である。

せっかくなので、視察団には大分名物も食べてもらった。だんご汁、鳥天、豊後アジ・豊後サバ(まだ関アジ・関サバの季節ではない様子)。

野津原の里の駅「ななせ四季の里」のだんご汁は、他とはちょっと違う。ごろんとした団子が入るが、この製法は企業秘密とのこと。酒まんじゅうも生地が他とは違っている。いずれもおいしかった。

同じく野津原の「若妻の店」。子どもを学校に行かせる資金の足しにしようと始めた農産物直売所だが、今では常連客も付き、食堂も付設してけっこうな賑わいになった。ここのジャンボいなりは、もとは家庭料理なのだが、一度は食べてみる価値がある。おいしい!

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若妻の店のスタッフの皆さんと一緒に


鳥天の油にラードが使われている店があるなど、イスラム教徒の視察団員に対して、「安くて土地の名物で豚を使っていない食べ物」を探すのはなかなか至難の業であった。

18日の夕方、無人のJR南由布駅から由布岳を仰いだ。珍しく雲がかかっていない。由布岳を見ながら、また元気が湧いてきた。

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2008年02月17日

帰国後、なぜかバタバタ

2月10日に帰国して、少しゆっくり、と思ったものの、現実には、バタバタの毎日を過ごしている。JICAグヌン・ハリムン・サラク国立公園プロジェクトの研修で、インドネシア人研修生に「日本の地域開発の歴史」を講義し、あったか下着の買物にも付き合った。

16日の夜、福岡へ移動した。17日朝、福岡空港でインドネシア農業省の一村一品運動視察団を出迎えて、19日まで大分県を連れて歩く予定。インドネシアでは、工業省や農業省が一村一品運動を彼らなりに咀嚼して活用しようとし始めている。農業省は農産物直売所をマレーシアのようなマーケティングに重点を置いた形で展開したいと考えているが、一村一品運動のアプローチを組み合わせられないか、思案中とのこと。しっかりと一村一品運動を見てもらうように、今回は、こちらから随行を申し込んだ面もある。

20日以降も、友人との昼食やインドネシア大使館のアポなど、いろいろ予定が入ってしまった。3月の初めには2週間ほど、マカッサルへ行く予定。でも、なぜか、毎日ワクワクしている。
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2006年08月15日

大分の花火(動画)

8月6日の大分での花火大会の動画をアップしました。お楽しみください。



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2006年08月11日

大分県宇佐「おかんの店」

大分にいる間に、宇佐の親戚をまわった後、宇佐市尾永井の「おかんの店」へ行ってきました。この店は、女性有志による尾永井婦人部28名が、県道中津高田線沿いの地区共有地に開店したもので、毎日午前10時から午後6時まで開いています。

地元紙の大分合同新聞に「おかんの店」の記事が掲載されました(こちらをご覧ください)。

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「おかんの店」を立ち上げた尾永井婦人部の皆さん


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2006年08月09日

大分七夕まつり

妻方の親戚で法事があったこともあり、8月4〜7日に大分へ出かけていました。ちょうど、大分では七夕まつりが開催されていました。

大分七夕まつりは、4日に戦国武将などを題材とした大きな張子の山車を引き、踊り歩く「府内戦紙」(「ふない・ぱっちん」と読む。ぱっちんはメンコの意味)、5日にはチキリンばやし市民総踊り大会+神輿・山車大会、そして6日には、大分川の川岸で納涼花火大会が行われました。

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2006年07月02日

ルストノさんのテンペ

先月、琵琶湖の北側に行ったときに、日本人の方と結婚されて大津市に暮らしているジョグジャカルタ出身のルストノさんと知り合いになりました。

ルストノさんは、インドネシアの大豆発酵食品であるテンペを作り、京都周辺のお店に出しているそうです。試食させてもらいましたが、本場と同じ、なかなかの味でした。

テンペについては、こちらに説明があります。

地方発送も可能とのことですので、ご興味のある方はルストノさんにコンタクトされてみてください。

ルストノさんのメールアドレス

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2006年05月18日

石筵で堰上げ

5月14日、福島県郡山市石筵(いしむしろ)で堰上げの様子を見学しました。堰上げというのは、水田への用水路へ水を流す前に水路の水を止め、草刈りなど清掃をし、水量を整えて、水路に水を流して、堰の水位を上げる、一連の作業を指し、毎年、5月前半の決まった日に行われます。

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堰上げ前の西の堰


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2006年03月16日

彩の里、徳島県上勝町へ(3/13)

ひょんなことから、徳島県上勝町へ行ってきました。ここは、和食に華を添える「つまもの」ビジネスの、彩り事業で全国的に名が知られた小さな山間の町です。下の写真のかえでの葉などが「つまもの」です。

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このところ視察が絶えず、3月には国内だけでなく、ジャマイカ、ミャンマー、バングラデシュ、台湾、中国、フィリピンからも視察団が訪れています。彩り事業は株式会社いろどりが統括していて、その事業紹介には3人以下で1人3000円、4人以上だと1人1000円の料金がかかります。

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2006年03月09日

松山にて(3月4〜5日)

会議で松山へ行ってきました。松山は初めて、四国は2003年12月の高知県馬路村以来の2回目です。

松山はとにかくのんびりした雰囲気で、気持ちのいい町でした。松山城の梅がそろそろ見ごろでした。

バスの広告もやはり「坊ちゃん」でした。

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2006年02月12日

姫島で海の幸三昧

2月9日は、大分県姫島村へ行っていました。九州とはいえ、寒い日でした。

姫島では主に、漁期や漁域など漁師の間で細かく取り決めされている「季節定め」(漁業期節)の追加情報を取りに行っていました。

今回は姫島に宿泊しました。中城さんという漁師の方が経営されている「ペンション野路菊」です。閑散期のためか、泊り客は私一人でした。料理はご主人自身がさばいた海の幸の数々で、コダイの刺身、ふぐ刺し、なまこ酢、あわび、もちろん車えびなどを堪能し、最後はうどんでした。

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客室もきれいです。6時から夕食をいただき、10時ごろまでご主人と色々話をしていたのですが、その間、部屋に暖房を入れておくのを忘れて、部屋がキンキンに冷えてしまいました・・・。

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2006年01月06日

雪の福島にて(2)

1月4日の朝は見事な銀世界。粉雪が降りしきるなか、うちの娘と弟の娘2人に「元娘」の私の母が早速雪遊びに励みました。

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2006年01月03日

雪の福島にて(1)

昨日から家族で福島の実家に帰省しています。着いた時は大して雪はなかったのですが、今日は本格的に降り出しました。

明日は、子どもたちが楽しみにしていた雪遊びになりそうです。

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2005年10月30日

大分道中番外編

今回は、移動でJR九州のソニックによく乗りました。なかなか快適でしたが、普通列車では行けないような、あるいは普通列車の運転間隔が3時間も空いているような状態で、通学の高校生までもがソニックを使わざるを得ない、という状態でした。車内はとても明るいです。

ソニック

続いては、由布院・湯の岳庵で食べたドジョウ鍋。東京の柳川のよりも大きいドジョウで、とてもおいしかったです。

ドジョウ鍋

最後は、安心院の宮田さんのところで朝食の秋刀魚と一緒に出てきたカボスです。このカボス、種なしで皮が薄くて小さいのです。スダチかと思ったぐらいです。自家製・自家用とのこと。

種なしかボス

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昭和の町、豊後高田

27日、「箭山紬」の後、豊後高田に「昭和の町」を見に行きました。商工会議所が「最低の商店街」とかつて酷評した豊後高田の商店街に、今では、ピーク時で1日40台もの大型バスが押し寄せます。

昭和の町

寂れた町を活性化させるため、市は1992年に文化センターやスポーツセンターの建設を含めた活性化プランを外部業者に委託して作成します。そこで「最低の商店街」は別の場所へ移転して再編される予定でした。このプランはいわば通常の街づくりプランといえそうですが、住民の反応は「非現実的」と冷淡で、事実上お蔵入りとなりました。

こうなると自分たちでやるしかない。5年間かけて「街の個性さがし」を徹底して行うことになりました。そして、商店街が元気だった昭和30年代をモデルとした個性を生かす方向性が浮かび上がります。折りしも、時代は昭和30年代が日本を覆い始めた頃で、「昭和の町」というテーマが浮かび上がりました。

しかし、相手は生活がかかった商店街で、アソビは許されません。各商店で以前から使っていた器具などの「一店一宝」、店の有力商品である「一店一品」などを含め、また店舗を昭和30年代風に改装するなど、市内のいくつかの通りをモデルとして昭和の町が作られていきました。専門のガイドさんが今日も観光客を案内しています。

一店一品

店の由来

商業と観光の一体的発展、観光と定住の両立がこの「昭和の町」の今後の持続性にとっての鍵です。周辺に大型スーパーモールも出店し、地元の人は商店街の外で買い物し、よそからの観光客が商店街へくる、という構造が見られます。まだまだこれから、というのが商工会議所の結論でした。これから「昭和の町」がどう「進化」していくのか、楽しみであると同時に、定住者の視点に立った地に足の着いた展開を期待したいところです。

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箭山紬

27日はまず、中津市に合併された旧三光村の箭山(ややま)紬を見るため、それを一人で紡いでいる松田和子さんのお宅を訪問しました。

松田さん
 松田和子さん。写真の服もご自分で織られたものです。

箭山紬
 松田さんが織った「箭山紬」の作品

松田さんのお話によると、以前は周辺のどこの家でも蚕を飼い、喪服などは自分の家で織っていたそうです。この蚕のいいものは外に出し、余った二級品を糸にして紬に仕立てた、しかしそれは白地の布で、色付けや染めは京都でしていた。紬を一人で織ってきたおばあさんが亡くなり、そこに8年間も出入りして見よう見まねで覚えた松田さんが今から30年ぐらい前に紬を織り始め、当時流行っていた草木染などを取り入れました。

ちょうど一村一品運動が始まった頃で、三光村でも一品を探す必要が生じ、中津の文化人の方がこの松田さんの紬を「箭山紬」と名づけ、三光村の一村一品になった、とのことでした。名づけられたものの、行政からはとくに支援はなく、松田さんは淡々と一人で紬を織ってきたのでした。一村一品運動の現場のもう一つの面を見た思いがしました。

地道にこつこつと紬を織ってきた松田さんのところへは、小学生がそれを見に遊びに来るそうですが、6年生になると「部活で忙しい」といって来なくなるのが残念そうでした。中津の方が織りを学びに来るそうです。

かつてシンガポールにも行ったことがある松田さんは、東南アジアにとてもよい印象を持っておられ、東南アジアの紬や織物にとても興味をもっていらっしゃいました。ご自宅でいただいた甘くておいしい甘柿のお返しに、またインドネシアの織物好きの友人を松田さんのところへ連れて行きたいと思いました。
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2005年10月27日

別府の竹細工

今、国内出張で大分へ来ています。26日は、大分県竹工芸・訓練支援センター、別府竹製品協同組合、山下工芸を訪問しました。

別府竹製品協同組合の岩尾さん、毛利さんと
<別府竹製品協同組合の岩尾さん、毛利さんと一緒に>

ザルなどの日用品を生産していたのが、温泉客の目に止まり、関西の花籠や盛りカゴを作る需要が発生して美術工芸への道が開かれたこと、美術工芸が高価値と分かると日用品の価値自体は下がっていないのに相対的に価値が下がったような感覚になり、徐々に日用品生産が下火になっていったこと、1970年代のプラスチック製品の台頭やその後の中国などからの製品輸入に直面して別府竹細工では日用品生産から全面的に手を引いていったこと、中国製品を別府産と偽って販売した地場問屋と生産者の信頼関係が回復していないこと、今では「別府竹細工」という地域ブランドを確立しようとしていること、などの話がありました。

竹とそれ以外の天然素材との融合を試みて外国の天然素材を積極的に利用する商社が、OEMとか開発輸入といった枠組みを超えて、対等な形でさまざまなコラボレーションを行おうとしている姿に、新しい日本の地場産業と国内外業者とのネットワーク作りが益々進んで行きそうな気配を強く感じました。

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