2007年08月17日

ボゴール植物園の花々

ボゴール植物園でみた花々の写真を集めてみた(クリックすると画面が拡大)。ただし、名前の分からないものも多い。

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2007年05月22日

漁民がシーラカンスを捕獲

北スラウェシ州マナド沖で19日、地元の漁民父子がシーラカンスを捕獲した。このシーラカンス、捕獲されて隔離プールに入れてから17時間後に死んでしまった。

この海域にはシーラカンスの存在が確認されており、日本でも、アクアマリンふくしまなどが調査を継続中である。

折りしも、マナドでは2009年に世界海洋サミットを開催すると宣言したばかり。北スラウェシ州知事は、シーラカンスはそのまま冷凍保存し、世界中の科学者の調査対象として役立てる、としている。ただし、シーラカンスはマナドから外へ持ち出さず、世界中の科学者にマナドへ来ることを奨励している。

再びシーラカンスの話題で盛り上がる北スラウェシ。シーラカンスやスラウェシの海の解明はまだまだ緒についたばかり。世界的にユニークなスラウェシの魅力がまた一つ加わった。いやー、これだから、スラウェシは面白い。

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(Komentar紙、2007年5月22日より)


関連記事:
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Komentar(インドネシア語)

2007年03月05日

マナドうまいもの

マナドの人は、誰かと会ったときに「ご飯を食べましたか」というのが最初のあいさつ、といわれるぐらい、食べることが好きな人々である。今回も、いろいろうまいものに出会った。

なんと言っても、マナドで感激するのがナシ・クニン。「インドネシアで一番美味しいナシ・クニンはマナドにある」と言って間違いない。カツオで味をつけ、カツオ・フレークがのったナシ・クニンは、日本人好みの味でもある。今回は、サロジャ(Saroja)のナシ・クニンを食べたが、以前食べたカンポン・コドック(Kampong Kodok)のそれも忘れがたい。

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今回は、ほかにも、豚肉そば(Mi Lao-Lao)や、カンクン(空心菜)、カボチャ、トウモロコシの入ったマナド粥(Bubur Manado)も堪能したが、なかなかの掘り出し物があった。それは・・・。


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2007年03月02日

変貌するマナド

今、出張でマナドに来ている。マナド訪問はたしか5年ぶりぐらいなのだが、海岸の変貌ぶりに驚いた。延々と海岸が埋め立てられ、モールが4つ、商店兼住居の建物がずらーーっと並んでいる。もちろん、建築中のものが数々ある。マナド中の商店が引っ越しても大丈夫だと思わせるぐらいの数である。

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2006年12月23日

マリノの篤農家を訪ねて

今日(23日)、以前から会いたいと思っていたマリノの篤農家であるイリヤス氏に会うことができた。日本から来ている知り合いの大学の先生が会いに行くというので、ついていくことにしたのだ。

イリヤス氏は西ジャワ州の出身で、マリノで高原野菜を作り始めた草分けの存在である。彼に続いて、周辺の住民が高原野菜を作り出して所得を向上させ、今では、マリノは南スラウェシ有数の高原野菜の一大産地として有名になっている。

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2006年12月17日

ゴロンタロ・バジョ村にて

前にも書いたように、12月5〜12日はJICA-PKPMの現地国内研修・最終セミナーにオブザーバーとして参加するため、ゴロンタロを訪れた。

そのときの様子については、いりあい・よりあい・まなびあいネットワークのブログに書き込んだので、以下のアドレスを参照して欲しい。

http://i-i-net.seesaa.net/article/29807052.html

今回は、そのときに訪れたボアレモ県の様子を以下に紹介したい。

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2006年11月24日

ゴロンタロでのワークショップ

11月22〜24日は、地元NGOからの要請で再びゴロンタロへ行き、「参加型予算」に関するワークショップで話をしてきた。

「参加型予算」の趣旨は、議会に任せるのではなく、一般住民も予算執行の監視に当たる必要がある、ということで、予算が流用されないようにどう監視するか、ということが主なテーマのようだった。

参加していたのは、ゴロンタロ州ボアレモ県の村長、村役人、村に関わるNGO関係者など。ジャカルタやマカッサルから来たNGO運動家が様々なジャーゴンを繰り出しながら説明するが、参加者は今ひとつ「ようわからん」という感じに見えた。そもそも、なぜ村人が県予算の監視に「参加」しなければならないのか。そんな根本的な疑問を抱きながら、私は「予算、予算っていっていますが、誰のお金の話をしているんですか。村人のお金の話ですか」と質問してしまった。

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2006年11月02日

ポソ騒動とすり替え

今年もまた、レバラン前に中スラウェシ州ポソで騒動が起こった。

10月22日、警察と住民が衝突、住民1人が射殺された。衝突は連日続き、24日には住民が警察の宿舎を襲撃し、25日には別の警察の宿舎に火を放った。こうした騒動のため、レバランの前夜に町を練り歩くタクビランがポソでは中止された。

22日の事件では、住民によると、モスクで礼拝中の住民を警察が襲ってきたとのこと。一方、警察は、犯罪者を探すためにパトロールしていたところを住民が襲撃してきた、と主張。

しかし、話は思わぬ方向へ展開していく。

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2006年10月30日

ママサからトラジャへ(3)

27日は、再び徒歩でティンバアンを朝7時に出て、途中のマワイ村での市場を見たり、水田や渓流の景色を楽しみながら、ママサ県タバン郡の郡庁所在地であるポンディンに12時に到着。ここまででママサから約40キロ歩いたことになる。

ポンディンの先のタナ・トラジャ県ビトゥワンまでは悪路の登坂が約20キロ続くことと、私もウディンさんも足を痛めていたので、徒歩での踏査を諦め、「ハードトップ」と呼ばれるジープでビトゥワンまで2時間かけて進み、そのままマカレからランテパオまで降りて、28日にマカッサルへ戻った。

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27日のティンバアンからポンディンまでの緩やかな下り坂は、景色もよく、今回の行程で最も気持ちのよいひとときだった。

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ママサからトラジャへ(2)

26日は徒歩でママサを朝8時前に出発。ママサの貴族の伝統家屋を見た後で、田園風景を眺めながら、長々と続く登り道をひたすら登り続け、途中で村の人にコーヒーを入れてもらったりしながら午後2時にプンチャック(峠)に到着、その後は一転して急な下り坂をひたすら降りていく。途中で大雨にずぶぬれになりながら、午後4時半にティンバアンに到着し、アムリ・ハウスという民宿に泊まる。

トレッキング・コースという言葉から、森の中の登山道をイメージしていたが、実は、ママサ〜トラジャ間の拡張工事中の道路を歩いていくことになった。

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このルートが20年前には美しいトレッキング・コースだったというが、今では舗装を想定して敷いた砂利がゴロゴロし、何度かの雨期を経てそれがズタズタに剥がされ、幾重もの溝が掘られ、乗用車が通れる道の体をなさない状態になっていた。

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バイクとジープのみが途中で故障する危険を承知で通る道。道幅が広げられ、沿道の木々は切られたので、徒歩で行くと直射日光をまともに受けて暑くてたまらない。

トレッキングを楽しむ観光客の姿が見られないだけでなく、沿線の住民も徒歩で移動する人はほぼ皆無の状態になっていた。実際、「徒歩で来た」というと何人もの沿線の人々に「信じられん」といわれた。

以下は途中で撮った写真から・・・。



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ママサからトラジャへ(1)

レバランの1週間の休みを利用して、知り合いのガイドのウディンさんと一緒に、南スラウェシ州北部のママサからトラジャへトレッキングを試みた。ママサを訪れるのは、1996年6月以来、約10年ぶりである。この間に、ママサはポルマス県から分立し、単独のママサ県を成立させていた。

10月25日の朝7時半にマカッサルを出たバスは、途中でタイヤ交換などしながら、夕方6時にママサへ到着。ポレワリを出たのが午後1時なので、ポレワリ=ママサは約5時間を要したことになる。道は、10年前よりもかなり悪くなった印象だ。舗装区間が少なく、バスの車内は埃だらけになった。

到着したママサでは土砂降りの大雨に迎えられたが、これが乾期の終わりを告げるママサでは今季初めての雨だったそうだ。Matana Lodgeに1泊。この宿は10年前にはなかった。欧米人を当て込んで建てられたMamasa Cottage(10年前に1泊してすごいオーバープライスだと思った)はまだ営業しているが、客足はぱったり途絶えているとのことだった。

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Matana Lodgeから眺めたママサの中心部。

2006年10月22日

ゴロンタロ「灯りの祭典」

10月19〜22日にゴロンタロへ出張した。ちょうどゴロンタロでは、家々や通りに火を灯す「灯りの祭典」、トゥンビロトヘ(Tumbilotohe)が行われていた。

ゴロンタロ語でTumbiloが「灯す」、toheが「明かり」の意味である。インドネシア語でPasang Lampuとも呼ばれるこの祭典は、毎年レバラン(断食明け)の4日前から行われ、今年は10月20〜22日に、ゴロンタロ州全域で行われた。

今年は州全体で500万本を灯すことを目標としたそうだが、実際には689万2000本余りが灯されたと、祭典の開会式で報告があり、インドネシア記録(Rekor Indonesia)に登録されたほか、来賓の観光文化省の高官は、この「灯りの祭典」を国家レベルの観光行事に指定し、国家観光カレンダーに登録することを約束した。

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