2006年12月15日

ライオン・エアに乗って

12月のゴロンタロ出張は、ライオン・エアを利用した。傘下のウィング・エアが"Fly is cheap"をキャッチフレーズにしているように、低料金を売り物にここ数年急速に台頭してきた航空会社だ。

このライオン・エアで、いくつか楽しい発見があった。

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2006年12月14日

16日の日本映画を観る会

12日にゴロンタロから戻りました。そのときの話はまたお伝えするとして・・・。

12月16日の第2回日本映画を観る会、観るのは『Always三丁目の夕日』です。果たして、昭和30年代のノスタルジアが現代のインドネシアの若者に感じてもらえるかどうか。開始時間は前回同様、11時頃になるものと思います。場所は我が家、住所は以下の通りです。

Kompleks Ininnawa
Jl. Perintis Kemerdekaan Km.9 No.76
Tamalanrea Jaya, Makassar

・Mercedes Bentzのショールームのまん前
・専門学校AKBAの隣
・UNHASの第1正門より若干市街地寄り

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2006年12月05日

次の日本映画鑑賞会(12月16日!)

11月18日の「スウィングガールズ」に引き続き、12月16日に第2回の日本映画鑑賞会(もしもしパーティー)を我が家で行います。

どんな映画を観るかは、仲間が品定め中(侍もの?宮崎駿?)。詳細については、分かり次第お知らせします。お楽しみに!


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大風と大雨

12月4日の午後1時過ぎから、マカッサル市内の東部は突然の大風と大雨に見舞われた。このため、インターネットの通信電波を受け取るアンテナの位置がずれて、夜9時までインターネットに接続できなくなった。

ここ数日、雨が降りそうで降らなかっただけに、ようやく本格的な雨期の到来を告げるような激しい雨だった。

明日5日から12日まで、またまたまたゴロンタロへ出かける。JICAが行う村人同士が学び合いをする実験的な研修を見学することが大きな目的だ。どんなことが起こるのやら。楽しみにしている。
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2006年12月04日

このところ千客万来

先週から今週にかけては、我が家は千客万来である。日本からの友人たちが訪ねてきて、宿泊していく。現在、1階の2部屋を来客用のベッドルームとして用意している。もし、マカッサルへ来る用事があって、我が家を覗いてみたい方は、あらかじめ連絡して欲しい(我が使用人の2年後の自立支援金として若干の支払をお願いする予定)。

ただし、訪問してくれた友人たちには、とくに拒否しなければ、我が家に出入りしている若者たちとディスカッションしていただく。先週から来た2人の友人には、日本の農村、インドネシア=日本関係、などを題材として話してもらい、それをもとに夜遅くまでディスカッションした。

ディスカッションといえば、12月3日から毎週日曜日の夜に、「社会科学クラス」(Kelas Ilmu Sosial: KISS)と呼ばれる討論形式の発表会が始まった。第1回は、企業の社会的責任について話題提供者が発表し、参加者が自由に議論した。残念ながら、私は他に用事があり、出席はできなかったが。

我が家の敷地内に仲間が設置したカフェもオープン。Biblioholicで本を読んだり、議論をしたりしながら、コーヒーなどの飲み物やNasi Campurなどのちょっとした食べ物を楽しめる(学生が多いので価格を比較的安く設定)。食べ物は料理自慢の私の使用人が腕を振るうので、乞うご期待。
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2006年11月26日

仲間の様々な活動(11月25日)

11月25日は、私の所属先の仕事の現地研究会の第1回を市内で開催し、ヘトヘトになって帰宅したが、留守中の我が家では、地元の仲間たちが2つのイベントを開催した。

一つは、私の友人でもあるハサヌディン大学のダルマワン・サルマン講師の著書"Jagad Maritim"の出版記念講演会。同書は、南スラウェシの南部、ブルクンバを中心とした漁村社会の変容を分析した彼の博士論文をもとにまとめたもので、地元出版社Ininnawaから発刊された。これが昼間に開催された。

夕方からは、大学生や高校生のブログ愛好家が集まって、彼らの交流サイト"angingmammriri"の立ち上げの会を開催された。個人ブログはインドネシアでも急速に広まっているが、この彼らの集まりは「ものを書く」ということをかなり意識している様子。興味のある方は彼らのサイトをのぞいて欲しい。

恥ずかしいが、私はこのところインドネシア語版ブログの更新を怠っている。彼らに負けないように、発信能力を高めていきたい。

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2006年11月19日

『スウィングガールズ』鑑賞会(11月18日)

ショートノーティスにもかかわらず、"Nonton Bareng dan Diskusi Film"と題した今回の『スウィングガールズ』鑑賞会には、ハサヌディン大学日本文学科の学生を含む約100人以上の若者たちが我が家へやってきて、みんなで楽しんだ。

初めに、私から簡単な映画の内容と映画の舞台となった山形県についての簡単な説明をした後、映画鑑賞。笑いが溢れた鑑賞の後は、1時間程度、感想と簡単な質疑応答を行った。

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感想や質問で面白かったのは、「山形の田舎が舞台なのに、ジャズという西洋のものしか出てこず、日本の伝統文化が出てこない」「ここで描かれているのは山形に特徴的なのか」「日本の若者は以前よりやる気がなくなっていると聞くが、この映画は例外なのか」など。文化というものを「かたち」から捉えているのではないか、山形の特徴ではない、この映画は「こうありたい」という人々の願望を実際に表現した一種のファンタジーである、といった話を私はした。

映画鑑賞のほか、折り紙教室、浴衣試着*写真撮影、なども行われ、日本に興味を持つたくさんの若者で夕方まで我が家は賑わった。

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今回のような催しは今後、「もしもしパーティー」(仮称)に名前を変えて、毎月行われる予定である。ただし、主催者は我が家に事務所を構える地元NGOの若者たちで、私はそれにただ乗っかっているだけである。
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2006年11月15日

我が家の隣の空き地で出火

11月14日午前10時頃、我が家の隣の広い空き地から火が出て、白い煙をもうもうと上げながら燃え広がった。

空き地は枯れ草で覆われ、タバコの火の不始末か、乾期が長引いていることによる自然発火か、原因は分かっていない。

今回の火災は、幸い、風向きが西風だったので、空き地の西側にある我が家への延焼は免れた。しかし、もし東風だったら、と思うとぞっとする。

区長(Lurah)の呼びかけで付近の住民が消火活動に当たるとともに、我が家に出入りする学生たちにも我が家の2階から水をかけるように指示が出され、2階から水をまいた。昼間断水しているため、おかげで家の中の水はすべてなくなってしまった。11時半頃になって、ようやく消防車がやってきて、消火活動を行った。

「消防車の台数が少ないからなあ」「乾期で水もないしなあ」とは区長の弁。本当にそうなのだろうか。

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(消火活動に当たる消防隊)


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2006年11月13日

『スウィング・ガールズ』上映会(11月18日)

かねてから企画していた、インドネシア人と日本人が一緒に日本映画を観る会(会のいい名称があればご提案ください)を開催することとなりましたので、お知らせします。

第1回は、ハサヌディン大学日本文学科の学生や私のところに出入りしているNGO関係者などと一緒に、『スウィング・ガールズ』を観たいと思います。上映の前に簡単な映画の説明を私のほうから行い、映画を観た後、自由に議論します(通訳可)。

日時: 2006年11月18日(土)午前10時〜
場所: 松井邸/Biblioholic/Ininnawa
    Jl. Perintis Kemerdekaan Km.9 No.76, Tamalanrea, Makassar
    (メルセデス・ベンツのショールーム前、専門学校AKBAの隣)
    (市内から行くと、ハサヌディン大学第1門の手前です)
備考: 昼食を各自持ち寄って食べる予定です

当日は映画以外にも、折り紙教室などを企画しているようです。

マカッサル在住の皆様、どうぞ気軽にお越しください。

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2006年11月02日

隣組長さんの事故死

11月1日、ハサヌディン大学にいたら、我が家の近所に下宿しているクンダリ出身の男子学生から、我が家の地区の隣組長さんが亡くなったことを知らされた。

隣組長さんは10月25日、レバランで奥さんと子供と3人でシドラップ県ラッパンへ帰省するため、我が家の前を通る大通りに出て乗合(ペテペテ)に乗ろうとしていたところにタクシーが突っ込み、轢かれて亡くなった。

帰宅後、急いで隣組長さんのお宅を訪ねると、奥さんが足を折って寝たきりになっていた。子供も顔に大きな傷を負っていた。「夫が亡くなったのよ」と力なくつぶやく奥さん。ただただその悲しみを共有してあげるほかなかった。イスラム式で事故当日にすぐに埋葬、7日目の11月2日に式があるという。

10月18日の自宅の披露式にもニコニコしながら来てくれた隣組長さん。よき隣人でありたいと願って何度もお会いしていた。楽しいレバランになるはずだったのに・・・。

新聞にも載らない小さな出来事だろうが、隣組長さんの家族にとっては人生で最大の悲劇の一つ。こんな光景が世界中で少なからず毎日起こっているであろう、という当たり前のことに改めて気づいた。


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2006年10月23日

断食明けは23日と24日・・・。

今年の断食明けは一体いつなのか? 実は、直前までいつ断食明けか分からないのである。ようやく、10月22日夜の宗教省での会議で、インドネシア政府は断食明けを10月24日と決定した。全国各地での月の観測結果に基づくもの、としている。

一方、有力なイスラム系団体であるムハマディヤは、その数日前に断食明けを10月23日と決定した。そして今日、ムハマディヤの関係者は断食をやめ、朝に断食明けの大礼拝を行った。

ムハマディヤ以外のイスラム教徒は、それを横目に23日は断食を続けた。

それぞれの立場を尊重する、ということなのだ。これまでにも政府発表の1日前に断食明けしたケースは少なくない。私も以前、1991年の断食明けを西スマトラのパダンで過ごしたが、お世話になったアンダラス大学の先生は政府決定に従ったが、多くの市民は1日前に断食明けしていた。

今回も、23日に断食明けしたイスラム教徒と24日に断食明けするイスラム教徒がいるが、とくにそれを問題にする様子はうかがえない。

ユドヨノ内閣の閣僚のうち、ムハマディヤに所属するスディブヨ国家教育大臣とファディラ保健大臣は、23日に断食明けした。24日という政府発表に従わなくてもよい、のだ。インドネシアの大らかさとアバウトさ。これが長所でもあり、短所でもあるのだが。

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2006年10月19日

自宅お披露目・家内安全祈願(2006/10/18)

私の借りている家は、マロス県の著名な一族の所有で、彼らは敬虔なイスラム教徒。そこで、イスラムのやり方に則った形で、イスラム説教師を招いて、自宅のお披露目と家内安全祈願の集いを10月18日に行った。

家内安全祈願では、イスラム説教師を招くにあたって、決まった料理やお菓子を用意して皿に盛り付けておく必要がある。ムスリムの夫と結婚してイスラムに改宗した使用人のティニさん(もとはバリ人でヒンドゥー教徒だった)は、断食見習い中にもかかわらず、夫の母親や妹たちに応援を頼み、朝からパサールへ買出しに走り、お菓子屋でお菓子を注文し、70食分のNasi Kotak(箱に入った弁当)を用意し、大奮闘して、写真のような料理を用意した。

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2006年10月17日

お気に入りのCD

10月16日にようやく滞在期間分の家賃一括払いを終えて、何となくホッとした感じがある。そしてちょっと落ち着きを感じ始めた。

数日前に、Disk TaraでKLa ProjectのPasir PutihがCDになっているのを発見、すぐに購入した。1992年にジャカルタに住んでいたときにカセットを購入し、相当に聞き込んだアルバム。保存用にカセットをもう1本買って日本へ帰った。それをMDに落として、東京の自宅で聞くKLa Projectのアルバムの定番になっていた。それが10年以上経ってようやくCDになるとは・・・。東京に残る妻に報告したら、「私のも1枚買っておいて」。

Ruth SahanayaのJiwakuとともに、今、お気に入りのCD。Pasir Putihを聞いているとジャカルタの昔の日々を思い出し、初心に戻れるような気がする。今聴いてもちっとも古く感じない。
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2006年10月15日

子供向け有害番組

15日の地元紙『Tribun Timur』の1面に、南スラウェシ州放送委員会(Komite Penyiaran Indonesia Daerah [KPID] Sulawsesi Selatan)が子供向け有害番組を指定したとの記事があった。

有害番組と名指しされた番組とその理由は、以下のとおりである。

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市バスが復活?

10月14日に市内を走っていたら、市バス(正確には市営ではなく、国営バス会社が走らせている)が動いているのに出くわした。

以前、1990年代の半ば頃に市バスは休止になり、市内の公共交通機関は、ペテペテ(Petepete)と呼ばれる乗合とタクシーになったのだ。市バスが走っているのを見るのは本当に久しぶりだ。

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Jl. Bawakaraeng付近を走る市バス。バスの左の青い車がペテペテ。


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2006年10月07日

水が来ない

マカッサルは、まだ乾期が終わらない。9月23日に着いてからずっと雨が降っていない。そして懸念していたとおり、水が来ないことが最大の問題になった。

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2006年10月04日

イミグレと警察、警察の勝ち!?

ずっとイミグレに待たされた外国人登録証(KITAS)と外国人監視証(POA)は、当初言われた10月3日(火)より1日早く、10月2日(月)に交付された。一方、POAの発行を受けて、10月3日に南スラウェシ州警察に自己報告証明(SKLD)の申請に行ったら、手続はすべて2時間で終わり、10月6日(金)に取りに来るようにとの書類が渡された。
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2006年09月30日

自宅の紹介

そういえば、イミグレの話ばかりで、自宅の紹介をしていなかった。

今回の自宅は、マカッサル市中心部より空港寄りにある国立ハサヌディン大学の目と鼻の先にある。いろいろ訳あって、大きな家を借り、その1階の後ろ半分に住んでいる。今回は単身赴任。残りの部分は、地元マカッサルのインドネシア人の若者たちによるNGOのオフィスなどとして使われている。
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4日連続イミグレ(2006年9月28日)

4日連続で朝9時過ぎにイミグレへ。

外国人登録証(KITAS)の用紙にサインをして、外国人監視証(POA: 通称Buku Biru)を発行してもらう担当者のところへ行く。しかし、今日は担当者が連絡なく欠勤しているため、しばし待てといわれる。
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今日もイミグレ(2006年9月27日)

今日もまずはイミグレへ行く。

窓口でKITAS発行料20万ルピアと指紋押捺料5000ルピアを支払う。「署名と指紋押捺は明日な」と例の月曜日に怒りまくっていた窓口担当者。「マップをください」「ありがとうございました」という私の話かけにも終始無言。しょうもない奴だ。
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