2007年02月18日

我が家は映画館!?

2月17日の「日本映画を観る会」は、40人ほどが集まって「壬生義士伝」を観賞した。私もこれで3度目だが、やはり浅田次郎らしくホロッときてしまう。

映画が終わった後、参加した地元の学生らと議論したが、個人的には、家族のために戦うことと義のために戦うことがすんなりと結びつかないだけでなく、その2つが「死んではならない」という映画の放つ主張ともうまくつながらない、そんな印象を受けた。「芸者は今でもいるのか」「カネ、カネという吉村はインドネシア人みたいだ」といったコメントも出たが、果たして、地元の学生らはどこまで映画の意図を分かったのだろうか。

「壬生義士伝」を観る前に、在留邦人のM夫人の指導で、茶の湯の入門編をデモンストレーションした。

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7ヵ月経ったパニンクル!

インドネシアのマカッサルを中心とした普通の人々の投稿記事で構成されるサイト『パニンクル!』(Panyingkul!)。このサイトが開設されて、7カ月が経った。今では、毎日更新されるほど、盛況なサイトになってきた。

この『パニンクル!』を誕生させた一人である友人のリリ・ユリアンティさんが寄せた『パニンクル!』に関する紹介記事が、以下のサイトに日本語で掲載されている。

インドネシアでの市民ジャーナリズム

なお、この『パニンクル!』から選ばれた記事が日本語訳され、日本貿易振興機構アジア経済研究所の月刊誌『アジ研ワールドトレンド』に2007年3月号から「スラウェシ市民通信」というタイトルで毎月連載される。こちらも乞うご期待。
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2007年02月16日

日本映画を観る会ほか

今週は、ほぼ毎日JICAミッションに同行していて、ブログ更新がおろそかになってしまった・・・。

月例の日本映画を観る会が明日2月17日(土)、我が家で開催される。今回は「壬生義士伝」。映画上映は11時前後からの予定。上映後は、映画についてのディスカッション。

映画の前に、在留邦人のM夫人のご協力を得て、茶の湯の実演・紹介も行う。折り紙体験もある。

1台のプロジェクターと大型スクリーンを用意しただけで、我が家を舞台にした若者の活動がずいぶん活発になった。今週の水曜日には、マカッサルに調査に来ていた私の友人のインドネシア研究者に話題提供してもらって、議論をした。このところ、毎週1〜2回の様々な映画上映が続いている。

<予告>
来週、2月23日(金)夜8時からは、予定通り、「マカッサル学」の第2回を開催する。すでに、何人かが「自分の好きなマカッサルの場所」のタイトルでペーパーを用意している様子。さて、どんな話が飛び出すことやら。
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2007年02月11日

マカッサル市内ホテル情報

最近、続々と新しいホテルが開業しているマカッサル。それらも含めたマカッサル市内のホテル情報を以下のサイトに掲載した。

マカッサル市内ホテル情報

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2007年02月05日

1996年のジャカルタでの大雨を思い出す

1月29日にジョグジャカルタから戻ってからというもの、マカッサルは毎日雨季らしい雨が降る・・・などと悠長なことを言っていたら、ジャカルタは連日の大雨で記録的な洪水になってしまった。被災された皆さんの一日も早い回復を願う。

今回は1996年2月以来の洪水というが、そのとき私はジャカルタに住んでいた。しかもその日、大雨の中、ボゴールからプンチャックまで、在ジャカルタの所属先の上司の車で、ジャカルタを訪れた所属先のN理事を案内する役を仰せつかったのだ。

ものすごい土砂降りの雨の中、ボゴール宮殿をN理事と一緒に眺めていた記憶がある。あのとき、大雨の中でN理事に同行し、懇意になったおかげで、私はその後、2度目のマカッサルでの政策アドバイザーの仕事を遂行することができた。結果的には、スラウェシとより深く関わることになるきっかけが、あのときのジャカルタの大雨だったのだ。

ジャカルタの洪水の映像を観ながら、ふとそんなことを思い出した。すでに退職されたN理事には心から感謝している。
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2007年01月29日

「マカッサル学」開始

1月26日、約100人ぐらいの若者や元若者が集まり、「マカッサル学」の第1回を無事開催した。幸運にも雨に降られず、外の竹小屋で、リラックスした雰囲気のなかで開催することができた。50人分のCotoと50人分のPallubasaを近所のワルンに頼み、参加者に振舞ったが、ほぼ完食となった。

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CotoとPallubasaの準備をするワルンの皆さん。今回のほうがワルンで食べるのより美味しかったともっぱらの評判だった


一応、マカッサル市長へも招待状を送ったのだが、市長挨拶をお願いしたわけではないので、きっと来ないだろうなと思っていたら、市観光局のおばさん二人が「市長の代理」といって出席してくれた。

内容については、後日、あいあいネットのブログに書き込む予定だが、これから毎月最終金曜日に集まり、マカッサルについて話をすることになった。次回は2月23日を予定、次回までに「あなたの好きなマカッサルの場所」という題で、いろいろ情報を集めてくることになった。

このマカッサル学、これからどんな展開になるのか、楽しみである。

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2007年01月23日

ワークショップ参加者来訪

1月22〜23日は、オーストラリアの支援するラーニング・センター(LC)プロジェクトのワークショップに参加していた。東インドネシア各地のNGOがLCを設置・運営して、生涯学習を地域レベルで展開しようというプロジェクトのようだった。今回のは、各LCの活動報告会であり、その参考にするため、我が家で活動している図書館Biblioholicの代表者も話をするために招待された。

このワークショップ、生涯学習の中身についていろいろ議論するのかと思ったら、要するに、LCにパソコンを設置し、インターネットに繋げることが重要なのであった。ドナーのIT活用戦略の一端としてLCが活用され、世銀などが運営する東インドネシア支援センター(SofEI)がこのLCを活用して農村部へ入り込もうとしていることもうかがえた。ご丁寧に、SofEIがマイクロソフトと組んで行うワークショップの案内まで配られた。

そこで、ITがないとLCは運営できないのか、LCでは何を学んでいるのか、といった質問をしてみた。外国援助を使って、ワルン・インターネットを運営するような話ではないのか、中身は一体どうなっているんだ、と。でも、2日目のLCのプレゼンで、それなりに考えてLCを運営しているケースの話が聞けたのは収穫だった。

その参加者がBiblioholicを見学したいと言って、23日の夕方にぞろぞろとやってきた。そして、仲間であるIninnawaなどで出版している出版物に興味を示し、書籍購入などをしてくれたおかげで、合計で60万ルピア以上の売り上げとなった。ファンド・レイジングにいつも悩んでいる仲間にとっては、束の間のホクホク顔であった。

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2007年01月21日

マルク海震源の地震

1月21日、中インドネシア時間19時27分(日本時間20時27分)に、南緯1.4度、東経126.28度のマルク海を震源とするマグニチュード6.5(USGSではマグニチュード7.3)の地震が発生した。震源の深さは51キロ。

この地震で、北スラウェシ州の州都マナドでは、モールで買い物をしていた市民がパニックとなり、しかも海岸の潮が引いたとの情報で「津波が来る」という話が一気に広がり、高台へ避難する人々が続々と現れた。マナドではマグニチュード5.5の余震が続いた。当初、津波の可能性があるとしていた気象庁は、その後、津波の恐れはないと訂正した。

北マルク州テルナテなどでも、住民が家を飛び出し、津波を警戒して高台へ避難した。ティドーレ島に家族がいる若者の話では、海のすぐそばに住む家族は無事で、地震で家の外に飛び出して高台へ避難した、とのことである。

震源地からすると、気になるのはむしろ北マルク州のバチャン諸島やスラ諸島の状況だが、今のところ、これら地域の情報は全く流れてこない。

ちなみに、私の住むマカッサルでは地震の揺れを全く感じなかった。

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2007年01月19日

住民が海水魚を食べなくなった!?

1月1日に消息を絶ったままのアダムエア機。日本ではもはや忘れられたニュースとなっていることだろうが、こちらでは依然として連日報道が続いている。このところ、パンケップ〜バルーの沿岸で、同機に関係があると思われる物体が次々に発見されている。今までのところでは、何らかの理由で同機は海に墜落した可能性が高くなっている。

そんななかで目にした週刊誌『ガトラ』のインターネット版の記事に、「マカッサル周辺の住民が海水魚を食べなくなった」というのがあった。曰く、アダムエア機の乗客の遺体を魚が食べているかもしれない、そんな魚は食べられない、というものである。「魚を食べるなら、養殖のバンデン(ミルクフィッシュのこと。こちらではボルと呼ばれる)だけ」という話だ。

たしかに、マカッサルの焼き魚の代表として有名なバロナンは雑食性なので、可能性はなくはないのだろう・・・。

もっとも、このところ海が荒れて漁民が漁に出られない日が少なくなく、魚の値段は全般に高め。天候も災いして、魚の売れ行きはあまりよくないようだ。

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2007年01月18日

GIAのオーバーブッキング

インドネシアでは、相次ぐ格安航空会社の事故を背景に、国内では最も「まし」と見なされているガルーダ・インドネシア(GIA)機へのシフトが起こっている。GIAのチケットは、今では入手するのがかなり難しい。

それだけではない。GIAはあらかじめ、予約システム上で定員+2名で予約を受け付けているのだ。つまり、2名分は常にオーバーブッキング状態になっているということである。チケットはOKでも、実際に搭乗できない客が常に2名発生するのである。実は今回、私がその2名のなかに入ってしまい、出張を中止せざるを得なくなった。

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2007年01月17日

ある日の郵便局

先週、郵便局での出来事。

「EMSが届いた。ついては郵便局に取りに来い」との紙きれが我が家に置かれていた。いつもは、EMSはそのまま配達され、郵便局へ取りに行くことなどないので、おかしいなあと思いつつ、もしかして関税がかかるのかも、と思いながら、ともかく郵便局へ出向く。

出向いた時間は夕方。EMSの配達担当者はタッチの差で帰宅したという。でも、EMSなので重要書類かもしれないし、なぜ今回に限って郵便局まで取りに出向かなければならないのか、理由が知りたかった。そこでネチネチ粘っていると、局員が件の担当者に電話で連絡を取ってくれた。「そっちへ戻る」という返事が来たすぐ後に、「やっぱり遠いので行かない」との答え。「客が怒ってるから、お前の机の鍵をあけていいか」と局員が尋ねると、担当者はそれを了承。

そして何が起きたのかというと・・・。

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2007年01月15日

「マカッサル学」を提唱してみる

1月3日の午後からほとんど雨が降らなかったのが、13日ぐらいからまたぼちぼち雨が降り始めている。日本は暖冬とのことだが、今年のマカッサルの雨の降り方は何となく変だ。

それはともかく、このところ、地域文化の消失や「いかに自分たちの関わる地域について知らないか」といったことをメールなどで問いかけてくる若者が見られるようになった。インドネシアの地域開発は、地域の人が地域のことを知っているという前提で進められてきたが、それは間違いだったのではないか、地域の人も自分たちの足元をよく分かっていなかったのではないか、という思いを強くしてきたのだが、その自覚が少しずつ始まっているように見える。

そんななかで、地域の人たちが楽しみながら地域のことを学び、新たな発見をし、それを地域の人々どおしでシェアしていく、という試みを始めてみようという気になってきた。そこでまず、「マカッサル学」というものを提唱してみようと考えている。

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2007年01月12日

ブギス食堂

1月11日午前11時、マカッサルの海岸通りの近く、ロッテルダム要塞の南側に小さな日本食のお店がオープンした。その名は「ブギス食堂」。パンフレットには「インドネシアの風味を生かした日本料理を用意」とある。場所は以下の通り。ムスリムの人も安心して食べられるよう配慮されている。

Bugis Shokudo
Jl. Pattimura No.19, Makassar
Tel. 0411-314038
営業時間:11:00-22:00
木曜日定休

さっそく、味見に出かけてみた。

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2007年01月08日

「風が入って」療養

1月5〜7日は、マカッサルでの所属機関の事業計画を話し合う「合宿」に参加するため、パレパレに行っていたが、うかつにも風邪を引いてしまい、めずらしく38度台の高熱が出た。

インドネシア語では、風邪を引くのを「風が入る」(masuk angin)という。こちらの人は風邪を引くと、刺激の強い油(メンソレータムの強烈な奴と想像していただければ・・・)を体に塗り、骨に沿ってコインでこする。これを「クローッイン」と呼ぶ。クローッインすると風が入ったところが赤くなり、これが消えれば風が体内から抜けて回復、ということになる。

この油で最良のものは、マカッサルの蜂油(minyak tawon)という人が多い。1990-92年にジャカルタで下宿していたときも、よく大家の奥さんにクローッインしてもらったが、彼女もマカッサルの蜂油が一番と力説していた。

昨晩、お手伝いの旦那にクローッインしてもらったが、赤いのがすぐ消えたので「大したことはない」と思ったのに、熱はなかなか下がらなかった。

今日はそういうわけで、1日ゆっくり家で休養した。お手伝いがパパイヤの葉を煎じた緑色の飲み物を「のどにいいから」と作ってくれた。パパイヤの葉特有の苦味があるが、たしかにのどの調子はその後よくなった。

療養したおかげで、熱も下がり、だいぶよくなってきた。明日は普通通りでいきたいものだ。

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2007年01月04日

アダムエアはどこ?

1月1日にスラバヤからマナドへ向かう途中で消息を絶ったアダムエア機は、1月3日現在でも墜落場所が確認できていない。

現地新聞報道によると、この機体はアメリカの会社からリースしたもので、すでに17年(飛行時間4万5371時間)使用されている古い機体だった。実は12月に、私はアダムエア機でマカッサルとジャカルタを往復したが、その機体も相当に古かった。

最初の報道で、機体が西スラウェシ州ポレワリ県の山中で発見され、90人が死亡、12人が生存、と伝えられたが、半日でそれが誤報と分かり、政府関係者が平謝りとなった。そして相変わらず、誤報の犯人探しに忙しく、最初にその話をした村人が新聞上で批判されているが、それならば、それを確認せずに伝えた政府高官やメディアも責められて当然のはずである。

日頃からマカッサルの人々と接していて、思い込みと誤解が甚だしいと感じる。言葉を少し聴いただけで、すぐに相手が勝手に思い込んでしまい、それをその場で修正しないと話が一人歩きしてしまう傾向がよくみられる。新聞記者にもそれが少なくないので、地元紙を読むときには十分注意して読むようにしている。今回の誤報騒動も、その延長線上にあると考えられる。

一刻も早く情報を取ろうとするその姿勢は好感が持てる。しかし、情報というものが早いだけではなく正しくなくてはならない、という基本的なことを真剣に学ぶきっかけになって欲しいと思う。

以前、インドネシア語のkatanya、rupanya、kiranya、kira-kiraを使わないで話をしよう、と提案したことがある。これらの言葉が情報のあいまいさを示し、論理的思考を妨げている、フィーリングでものをいう傾向を助長する、と思ったからである。

それにしても、格安航空会社各社の参入で、かつて旅客船で時間をかけて移動していた人々が飛行機に大挙乗り換え、それが人の移動を活発化させている要因となっているのだが、事故がおきない限り、安全対策は十分に準備され難いものだ。地震や津波の対策をみてもそれがわかる。安全対策をkatanya、rupanyaで済ませないように、しっかりと取り組んで欲しいものである。過ちを決して繰り返さないために、失敗からもっと学んで欲しいものである。
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2007年01月01日

行く年来る年inマカッサル

マカッサルでは、連日の大雨の中、2007年が明けた。12月31日がイスラーム教の犠牲祭(Idul Adha)だったため、市内のホテルでも派手な年越し行事はなく(市が禁止したのである)、しっとりとした静かな年明けになった。

我が家、というか最近は"Komunitas Ininnawa"と皆で自称しているのだが、ここでは、仲間同士の詩の朗読と、ゴア県スングミナサの楽団「ラ・サバラ」(La' Sa'bara)を招いたマカッサルの伝統楽器の演奏で年を越した。

我が家に集まる若者のなかには、「詩人」がたくさんいる。Kompasなどの有力紙の文芸欄に掲載されたり、地元のラジオ局で自ら詩を朗読したりするセミプロまでいる。恥ずかしながら、私も生まれて初めてインドネシア語で詩を作って朗読してみた。わずか10分でエイッと作ってしまった、味も素っ気もない詩ではあったが・・・(興味のある方はインドネシア語ブログをみて欲しい)。

「ラ・サバラ」(落ち着いた人、の意味)の演奏はなかなかよかった。若者たちがマカッサルの伝統音楽を守っている、という感じだった。演奏の様子をちょっとだけのぞいてみて欲しい。



彼が使っている楽器が興味深い。
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新年おめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。


世界中の人々が平和で笑顔に満ちた2007年となりますように。
そして、皆さんにとって素晴しい思い出に残る年となりますように。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。


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2006年12月30日

カフェ・ママのスイーツ

ここ数日、例の台湾の自身による影響か、日本とのインターネットのつながりが大幅に時間がかかっている。うまく更新できるといいのだが・・・。

27日の昼に、友人とJl. Seruiの『カフェ・ママ』でスイーツを食べた。この店はなかなかしゃれていて、他の店にはない面白い手作りスイーツが食べられる。私が試したのは、「ココ・ビーン・アイス+アイスクリーム」。アイスクリームは自家製で、バニラ、ラムレーズン、チョコレートなどから選べる。

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これは、若いココナツの果肉にホイップした薄いクリーム状のものと小豆が入った上に好みのアイスが乗っている。ちなみに私はバニラ・アイスにした。エス・チャンプルに似ているが、もっと上品な感じで、小豆が絶妙のアクセントになっている。

寒くなってきた日本の皆さんにはちょっと寒々しい話題かもしれない・・・。

実はもう一つ、この店には隠れた名物があった。それは・・・。

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2006年12月26日

寛容のクリスマス

12月25日はクリスマスで休日。オーストラリアやアメリカは、クリスマスから年末年始にかけてテロの発生する恐れがあるとの声明を出したが、カラ副大統領は「いつも出しているよな」と余裕の反応。25日が終わる時点で、教会へのテロ行為は伝えられておらず、クリスマスは平穏に終わりそうだ(アチェは洪水被害で大変な状況になっているけれども)。

そんななか、嬉しいニュースを散見した。西ジャワ州バンドゥンの教会前で、教会を訪れるキリスト教徒に、イスラーム有力団体のナフダトゥール・ウラマの青年たちが花を配ったとのこと。イスラーム教徒が異教徒の宗教行為に親近感を示すなどということは、普通は考え難いことなのだろう。突然の出来事に、キリスト教徒の中には感動で涙を流す人さえいたという。

マカッサルでも、テロ警戒と称して、1つの教会に5人の警官が警備に当たったとされる。しかし、それ以外に、イスラーム教団体の青年も一緒に教会の警備をしたところがいくつかあったそうだ。他の都市でも同様だったらしい。そういえば、暴動が起きる前のアンボンでは、教会やモスクの建設や行事にキリスト教徒とイスラーム教徒が協力するのが当たり前だった。

今のところは寛容のクリスマス。1990年代後半からの異教徒間の相互不信状態を知っているだけに、今年のような雰囲気がずっと続いていって欲しい、と切に思う。オーストラリアやアメリカのテロ警戒声明の当たることがないように、と心底祈りたい。

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2006年12月21日

いよいよ雨季

このところ連日、マカッサルは昼頃から夕方にかけて大雨が降る。

12月20日の雨はすごかった。我が家の前の竹小屋の下に水が入っただけでなく、排水溝にゴミが詰まっていたため、2階のテラスに水がたまって床上浸水した。出入りしている若者たちと総出でたまった水のくみ出し作業をした。

我が家の周辺の家々は、雨季になると必ず水びだしになってしまう。近くをタロ川が流れているのと、もともとこの辺は湿地だったためである。

つい1ヵ月前までは「水が来ない」と渇水にあえいでいたのに、あっという間にこの変わりようである。ちょっと極端じゃあないの?

今日(21日)、大雨の中を車で移動していたが、排水溝にゴミが詰まっているのか、Jl. Petteraniなどの大通りであっという間に水が30センチぐらいの高さになって、車の通行に支障をきたしかねない状態だった。

そして雨季の風物詩、ドリアンがマカッサルの街中に1週間前ぐらいから現れ始めた。街中を走っているとドリアンの香りが漂ってくる。

マカッサルの雨季は1〜2月に「最高潮」を迎える。7日7夜雨が降り続く、などといわれ、しかも断続的に土砂降りの雨がほぼ半日は降り続く。
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