2007年05月29日

州知事夫人が高校で選挙活動

インドネシアの選挙権は18歳以上。ほとんどの高校3年生は選挙権を持つ。今年11月に州知事選挙を控えた南スラウェシ州では、まだ選挙運動期間に程遠いにもかかわらず、選挙活動がたけなわである。日本だったら、すべて公職選挙法違反のはず。

私のお気に入りのインドネシア語投稿サイト「パニンクル」に高校生からの投稿があった。その高校に現職の州知事夫人が現れ、出席を義務づけられた生徒たちを前に、再選を目指して州知事選挙に立候補する夫を称えたというのだ。

それだけではない。現職州知事と彼と組む副知事候補のペアの名前が入ったステッカー、現金5000ルピアの入った爪切り、ジルバップ、彼女と夫が表紙を飾る日記帳(下写真)を全員に配ったそうだ。とくに準備に協力してくれた生徒にはさらに2〜5万ルピアの現金が配られたのだ。最後に、州知事夫人の歌が披露されたという。

なんだこりゃ、である。こんな候補者が当選してしまったら(実際、当選しそうなのだが)、悲しいではないか。でも、対抗馬も似たようなものなのだ。民主化したといいながら、ものすごくタイムスリップしたかのような地方政治の日々である。

こんなことを書いたら、「インドネシアを侮辱した」「内政干渉するな」などと言われるのだろうか。でも、書かずにはいられないのだ。

パニンクルの該当記事(インドネシア語)

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2007年05月27日

ロザリ海岸でインターネット

新聞報道によると、本日5月26日から、マカッサル市ロザリ海岸のホテル・マカッサル・ゴールデン(MGH)からマカッサル市長公邸(タンジュン・ブンガへ向かう取り付け道路付近)の間で、Hot Spotが設置され、無線LANでインターネットができるようになったとのこと。5月26日から一ヵ月間は、しかも無料で利用できる。1ヵ月経った後は、Voucherを買わなければならない。

ノートブック・パソコンを海岸に持ち込み、名物の夕日を観ながらインターネットが楽しめる、ということになる。マカッサルは「サイバー・シティ」を目指すとのことだが、果たしてどうなるか。

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サンデッ・レース2007、8月に開催

スラウェシの誇る世界最速の木造帆船サンデッ(Sandeq)。今年も、西スラウェシ州の州都マムジュから南スラウェシ州の州とマカッサルまでの区間で、8月12〜26日にサンデッ・レースが開催される。

今回で11回目となるサンデッ・レース。実は、マムジュからマカッサルまでこのサンデッに乗船し、実際にレースの様子を海上から経験できるそうだ。レース開始の最低1ヵ月前までにこちらに来れば、今回用に新たに造船しているサンデッの製造の様子をみることができる。もちろん、レース運営に関わるボランティアやサンデッの調査研究を行う方の来訪も大歓迎。資金提供してサンデッのスポンサーになれば、その広告ロゴがサンデッの帆に描かれる。

日程は以下の通り。

8月12日(日)マンダール湾にてレース参加サンデッの選考
8月17日(祝)マムジュ−マルンダ
8月18日(土)マルンダ−マジェネ
8月19日(日)マジェネで三角レース
8月20日(月)マジェネ−ポレワリ
8月21日(火)ポレワリで三角レース
8月22日(水)ポレワリ−ウジュンレロ
8月23日(木)パレパレ湾で三角レース
8月24日(金)パレパレ−ウジュンバトゥ(バルー県)
8月25日(土)ウジュンバトゥ−マカッサル
8月26日(日)マカッサルで親善レース

サンデッ・レース2007の詳細・連絡先はRidwanさんへメールにて(英語またはインドネシア語で)。

関連情報はこちら

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サンデッについての若干補足しておく。
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2007年05月22日

マッチがない

我が家の裏側はタロ川に近く、湿地帯だったところらしい。加えて、東隣には20年以上も放置された広大な空き地があり、以前ここから出火して、消防車がなかなか来ずに大騒ぎになった(以前のブログ記事を参照)。何を言いたいかといえば、我が家には蚊取り線香が必須なのである、ということだ。

と、ずーっと引っ張っておいて、話は、蚊取り線香に火をつけるときに使うマッチである。前に買いためておいたマッチがそろそろ残り少なくなったので、街中へマッチを買いに行ったのだが、これが売っていないのだ。大きなスーパーには置いていない。昔ながらのスーパーBaji Pamaiにはレジのところにちょっと置いてある。少し前までは、大きな箱に入ったものから小さいものまで、様々なマッチが売られていたのに、今は店内で売られていないのだ。

道端にはタバコ売りがいるから、そこに行けばマッチがあるのは分かる。しかし、一般家庭ではもうマッチなど使わないのだろうか。日本だって、まだまだマッチは使われているし、お店や旅館の宣伝に使っているはずだ。マカッサルの状況を一般化はできないかもしれないが、ちょっとなくなるのが早くないのか。

しかたなく、普通の安いライターを購入した。そして家に帰って、蚊取り線香にライターで火をつけてみた。すぐついた。マッチのときは、マッチ棒がしっかりできてないので、何本も折れてしまう。しかも、火力が弱いのか、つけても途中で消えてしまうこともたびたびだ。ところがこのライター、ちょっと火をつけただけでも火が消えない。マッチよりずっと楽だし便利。そうか、こうやって、マッチは店頭から消えていったのだな、と納得してしまった。

火打石が消え、マッチがなくなり、ライターや着火マンで火をつける時代がやってきた。火は人間にとって恐れるものではなくなり、制御できるものになってしまった歴史。ちょうど1年前に、日本の山村で火入れや焼畑の話を聞いたとき、火には不思議な力があると悟った。ライターで蚊取り線香に火をつけるようになると、その厳かな火の世界から一歩遠ざかっていく自分を感じてしまった。

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2007年05月20日

マカッサルに戻って

10日間以上のジャカルタ・ジョグジャカルタ出張から18日深夜に戻った。やはり、マカッサルの自宅に入ると、なぜか心が和む。ここが自分の居場所だ、という実感が沸いてくる。

私がいない間、例の朝顔はどんどん育っていた。いつまでも咲き続けていって欲しいものだ。お手伝いたちが毎日丁寧に水をあげていた。

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マカッサルでの「リハビリ」の2日間の出来事を以下に書き留めてみる。

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2007年05月08日

ジョグジャ手工芸品展示会(マカッサル)

震災復興とも結びついたジョグジャカルタの工芸品の展示会が、下記の通り、マカッサルで開催される。これはインドネシア技術交流プロジェクト「てこらぼ」の一環でもある。

「てこらぼ」は、単にインドネシアの工芸品を紹介するのではなく、インドネシアの職人と日本の職人との共同作業を通じて、新しい価値を生み出していくことを重視している。有名なのは、ジョグジャカルタの黄金の繭(クリキュラという野蚕から出る糸)を使ったゴールド・シルクがある。

私自身は用事で10日間ジャカルタに出ているので行けないが、どのような工芸品が展示されるのか、マカッサル在住の方は是非見に行って欲しい。

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ジョグジャカルタ手工芸品マカッサル展示会のご案内

日時 5月9日〜13日
場所 MALL PANAKUKANG

「RUMAH KAPAS」の製品等が展示される。「RUMAH KAPAS」は被災綿織物産業復興支援の一貫として始められたとのこと。

RUMAH KAPASのページ

てこらぼのページ

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2007年05月06日

朝顔が毎日伸びる

3月に妻娘がマカッサルに来たとき、朝顔の種を持ってきて、みんなで植えた。彼らが帰った後、お手伝いたちが大事に育ててきた。運転手が竹で支え棒を作ってくれ、お手伝いの息子もそれを土に刺すのを手伝った。

熱帯のせいなのか、朝顔の成長はとても早い。毎日毎日、どんどん育つ。つるがぐんぐん伸び、赤、青、白の花が咲く。

今、我が家で毎朝、朝顔を見るのが日課になった。力強くぐんぐん育つ朝顔に、東京の娘の姿がだぶるとともに、今の自分が励まされているような気にもなる。

我が家に出入りする若者が「種が取れたら分けて欲しい」といってくる。彼らの家でも朝顔の花がいずれ咲くと思うと嬉しい。

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きれいに咲いた一輪の朝顔


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我が家のお手伝いの息子も朝顔が大好き

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2007年05月03日

ロンタラ文字の旧字を発見

先日、ゴワ県スングミナサのバッラ・ロンポア博物館へ行く機会があった。そこで初めて、マカッサル語をあらわすロンタラ文字には新旧あることを知った。

現在も一般に見られるロンタラ文字は、ゴワ王国のシャーバンダル(Syahbandar)王の時代である1538年に、ダエン・パマッテ(Daeng Pamatte)という人物によって作られたものであり、それ以前のロンタラ文字とは異なっている。

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上の写真では右側(Bilang Bilangと書かれているもの)、下の写真では左側(Jangang Jangang Toaと書かれているもの)が古いロンタラ文字である。いずれも、ダエン・パマッテが作ったロンタラ文字とはかなり異なり、丸みを帯びている。

新しいロンタラ文字といっても、すでに約470年前のものであることにも感慨を覚えた。

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2007年04月30日

ジャカルタの有機食材レストラン

4月27日にマカッサルへ戻った。一時帰国ではあったが、業務があったので、ブログ更新を怠ってしまった。やはり、久々の日本の空気や雰囲気に面くらい、予想以上に疲労(肉体的+精神的)を感じた。ただし、家族や友人と一緒にいた時間はとても温かくて心地よく、彼らの存在のありがたさを心の底から思った。

4月17日に一時帰国する前に、ジャカルタで友人たちと有機食材レストラン「ワルン・ダウン」(Warung Daun:葉っぱのワルンの意)で夕食を食べた。ここは、中ジャワ・スラーゲンで契約栽培した有機米や有機野菜を使用し、素材の味が引き立つスンダ料理を出してくれる。なかなかおいしい。日本やポルトガルなどから輸入した有機食材も店内に展示されていた。インドネシアだけで必要な有機食材を満たせる状態ではないのだろう。

インドネシアにもスローフード運動が伝えられている。昨年11月にはリッポー・カラワチでスローフード・フェアが開催されたようだ。ただ、私から見ると、運動はまだ金持ちの趣味の領域を出ていないようで、本来的な生産者と消費者との関係性というところへ向かうのはもう少し具体的な動きが必要だと考える。多くのインドネシア、とくに都市化されていないところでは、土着のスローフードが健在であり、それと接触することなく、運動を外から輸入しているならば、運動を進める都市高所得層のそうした姿勢が問われてくることになろう。

Warung Daun
- Jl. Wolter Monginsidi No.41, Kebayoran Baru, Jakarta
Phone: 021-72786138, Fax: 021-72786137
- Jl. Pakubuwono VI No.10, Kebayoran Baru, Jakarta
Phone: 021-7395454, Fax: 021-7259955
- Email: warung_daun@yahoo.com

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2007年04月13日

役人の卵たちの集団リンチ殺人事件

今週のインドネシアでは、西ジャワ州にある内務行政学校(IPDN)で起こった集団リンチ殺人事件が連日トップニュースで取り上げられている。北スラウェシ州出身のIPDNの学生が集団暴行を受け、亡くなったことが明らかになったのだ。当初、学校側は事件を否定する姿勢をみせていたが、IPDNの一人の教師が内情を暴露したことで、マスコミが大きく取り上げたのである。

亡くなった学生は内臓が破裂するほど暴行を受けていたという。驚いたことに、これまでにも何らかの理由で在学中に亡くなった学生が何人もいるというのだ。学校の校内に埋葬されたと思しき場所があるのだが、そこは「スマトラ沖地震で亡くなった犠牲者を埋葬した」などと訳の分からない説明でお茶を濁そうとしてきたという。

今回の事件で、南スラウェシ州出身の在学生21人が事件への関与の疑いで警察の取調べを受け、多くの地方政府が学生を同校へ送ることを取りやめた。大統領は、リャアス・ラシッド元地方自治担当国務大臣を長とするIPDN調査委員会を発足させた。

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2007年04月12日

【予告】業務で一時帰国

4月18日(水)早朝成田着、4月27日(金)成田発、で仕事のために一時帰国の予定。日本では携帯電話がないので、連絡が必要な場合は、メールにてコンタクトしてください。

こちらの空気に慣れてしまったので、桜が散って「さあ仕事仕事!」モードの日本へ帰るのがちょっと怖い気もする。

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2007年04月11日

夕焼けに染まるウロコ雲

3月のある夕方、マカッサルに来られているコンサルタントの方と夕日を見に行った。あいにく雲の多い空だったが、きれいな夕焼けに染まるウロコ雲を堪能した。

季節によって、そして毎日、様々に刻々と変わるマカッサルの夕焼け。今は海岸から多少遠いところに住んでいるのがちょっと残念だが、マカッサルの夕方の美しさをまだまだ味わえている。

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2007年04月09日

空から見たスラウェシ(1)

移動の飛行機の中から、外の風景を写真に撮ることがよくある。このとき、改めてスラウェシ島の美しさと変化に富んだ姿に感動する。とくに、乾季と雨季とでは様相が全く変わってしまう。

3月にマナドからジャカルタへ飛んだときに、スラウェシ島の中スラウェシ付近の最も細い部分を空撮した。マナドからマカッサルに飛ぶときは、このルートは通らないのではないか。

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2007年04月08日

家族とみたマカッサルの光景

3月25日にインドから戻った後、1週間ほど日本から家族がマカッサルに来ていて、彼女らの帰国後すぐにジャカルタとゴロンタロへ出張していたため、しばらく更新できずにいた。この土日で休養し、病気にもならずにすんだのは幸いだった。

家族とマカッサルの街をまわり、改めて興味深い風景に出会う機会を得た。住んでいると地元のことは当たり前のようについつい思ってしまうもの。

改めて新鮮さを感じたマカッサルの様子をいくつかの写真に撮ってみた。

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2007年03月29日

インドから戻って

3月25日にインドからインドネシアへ戻った。今回のインドへの旅で、改めてインドという国を見直した。うまく表現できないが、ひと言で言うと、基本がしっかりした国という印象を受けた。

ビシャカパトナム市内に限っての話だが、道端でぼーっとしている人を見かけない。やるといったことは必ずやる。相手の気持ちを汲んだサービス。実に快適なインドでの滞在であった。
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2007年03月12日

「イニンナワ・コミュニティ」お披露目

3月10日の夜は、我が家を舞台に活動する「イニンナワ・コミュニティ」(Komunitas Ininnawa / Ininnawa Community)のお披露目パーティーが催された。

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イニンナワとは古いブギス語で、「よい気持ち」「よい心」といった意味の言葉。高校生対象のフィールド研修などを手がけるRumah Kamu、ブギス・マカッサルなど地域文化の掘り起こしを進める出版NGOのPenerbit Ininnawa、地域文化に関する調査を行なうMedia Kajian Sulawesi、日本語教室Midoriなどの若者たちのNGOがKomunitas Ininnawaの傘の下にコミュニティを形成するという形である。

今回は、カナダのNGOであるAlternativesの女性2人が我が家に6週間泊まりこみ、彼らの組織強化への支援と同時に、Komunitas Ininnawaのウェブサイト及びニュースレターの発刊の手伝いをした。

関心のある方は以下のサイトをのぞいて欲しい。インドネシア語と英語の2ヵ国語のサイトである。

Komunitas Ininnawa

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「天空の城ラピュタ」上映(3月10日)

月例の日本映画を観る会。今回は3月10日に宮崎駿の代表作の一つ「天空の城ラピュタ」を、日本が好きな若者たち約60人と一緒に観賞した。

英語字幕だったせいもあるが、まだ表面的な理解に留まっている様子。上映後の議論では、「日本のアニメなのにどうしてセットが西欧みたいなのか」「ジェンダーの視点が出ている」「日本ではどれぐらい上映されたのか」などの質問が出た。

人間はどのように自然と付き合っていかなければならないのか。彼らに何度も観てもらいたい映画の一つである。

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2007年02月27日

Coto Makassarは豪牛肉に依存?

2月25日の夜は、我が家でもあるKomutas Ininnawaで、ウルグアイの作家Eduardo Galeanoの女性問題に関する短編エッセイの朗読と、それについての議論をする会が仲間によって催された。

残念ながら、私には別の用事があり、最後にちょっと顔を出せただけだったが、周辺の文学好きの若者たちが最後まで熱心に議論していた。

この場で知り合いになった文化人の一人と、Coto Makassarの話で盛り上がった。彼によると、本来のCoto Makassarは牛肉ではなく水牛の肉を使っていた。今現在、昔ながらの水牛の肉を使ったCoto Makassarを出す店は市内に3軒しかない。

水牛の肉が使われなくなった背景には、肉自体が牛肉より硬いことや、トラジャなどの儀式で大量の水牛が生贄にされることなども関係しているかもしれない。

他の店は牛肉で、しかも安価なオーストラリア牛肉を使っている。オーストラリア牛肉は、他のマカッサルを代表する肉スープであるKonroやSop Saudaraでも使われている。

インドネシアの代表的な健康食であるテンペも、国産大豆より味がいいとされる米国産大豆に依存している。マカッサルの地元料理のCoto Makassarも、いつの間にか輸入牛肉に依存する状態になってしまったということか。日本の食が抱える問題と同様の問題が、ここマカッサルでも急速に進行している感を強くした。

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2007年02月25日

日本文化祭、イ日友好協会

24日は、在マカッサル日本総領事館やハサヌディン大学などが主催した「日本文化祭」を見に行き、夜は。インドネシア日本友好協会(PPIJ)マカッサル支部設立会議に出席した。

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マカッサル学第2回

2月23日に「マカッサル学」の第2回を開催した。この内容については、あいあいネットの以下のサイトを参照して欲しい。

マカッサル学第2回(2/23)

一つ気づいたことだが、私が以前住んでいたJl. Daeng Tompoという通りの名前が、昭和17年時点のマカッサル市内の地図(スラウェシ島情報マガジンから借用。作者不詳)にもDaeng Tompo St.として書かれている。

マカッサル市内のほとんどの通りの名前は、かつてはオランダ名だったのが、日本軍占領期に一部が日本名に変えられ、独立後に改名された。独立後も、とくに1970年代初めのPatompo市長の時代に、地域ごとに動物の名前、鳥の名前、色の名前、などに統一して変えたことで、以前からのそこの土地やコミュニティに由来する通りの名前が消えていったという。その後も、頻繁に通りの名前は変えられて、現在に至っている。

しかし、先のJl. Daeng Tompoはおそらく、オランダ植民地時代から今日に至るまで、名前が変わっていない稀有な通りである可能性が高い。かつて家族と一緒に5年近く住み、とくに1997年9月の反華人暴動のときには近所総出で投石や放火から家を守りきった、あの通りがますますいとおしくなってきた。
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