2007年10月29日

太陽が・・・!!!

「とにかく、外に出て太陽を見て!」と家の者に言われて外に出ると、太陽の周りを光の輪が丸く覆っている。道行く人々がみんな空を指差しながら、太陽を眺めている。これは・・・・?

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これは、水滴や氷の粒に太陽の光が当たって回折したものだそうで、よく見ると、輪の部分は虹のように七色になっていた。今日(10月29日)の午前10時ごろからはっきりしてきて、午後1時ぐらいまで見えた。

「誰か偉い人が亡くなる前触れだ」「大きな事件が起こるかも」などと家の者たちが話しているのが聞こえる。気象台は「普通に起こる気象現象で、とくに何かがあるわけではない」とコメント。

インドネシアだからもうちょっと何か面白い話でも出るかと期待したのだけど、フツーの回答だった。それでも、ちょっとワクワクするような、不思議な光景。

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2007年10月28日

午前9時の花と乙女の掌

先週はずっと、原稿云々に明け暮れる日々を送ってしまった。ずっと家に閉じこもりきりではなかったので、悶々とすることはなかったけれど。原稿を今週中には目処をつけなければならないのだが、自分の以外の方々の原稿チェックに時間を費やされたのであった・・・。

そんななかで、先週はイニンナワの仲間たちとエコ・バッグの話で盛り上がった。日本ではすでに一般的だが、ここでもプラスチック・ゴミを減らすために、使い捨てではないバッグを使おうではないかという話になり、それなら、自分たちでも作ってみようか、といった話になった。

でもバッグだけじゃないよね、ゴミの分別をやって、生ゴミでコンポストをつくろう、そこでできた肥料で花を植えてはどうか、なんて話まで出た。

我が家の周辺は、道路拡張の影響で地価が高騰してきたらしく、周辺では住居兼店舗(ルコ)の建設ラッシュ。いずれ、ルコの町になるのは間違いない。せめて、ここだけでも、そんな殺風景ななかでの潤いのある場所にしたい。と、思いつつ、土曜日、さっそく花を探しに出かけてしまった。そして「午前9時の花」と「乙女の掌」を手に入れた。

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乙女の掌


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2007年10月22日

ライス・ショックを観て

今回、一時帰国中に観たテレビ番組で最も心に残ったのは、NHKで2夜連続で放映された「ライス・ショック」である。

グローバル化で、日本のいわゆる「うまい米」が海外で作られ、日本市場へ入ろうとしている。一方で、米価の下落と集落営農による規模拡大化の農政により、米作農家の生産意欲が大きく低下しているだけでなく、主要先進国では最低の食料自給率がさらに低下する可能性が高まっている。

生産者がおいしくて安全な米を求める消費者のことをどれだけ思って生産してきたのか。消費者が米をつくる生産者の先祖代々の苦労と環境保全への努力をどれほど思って米を消費してきたのか。「ボク、作る人」「ワタシ、食べる人」の両者の間に、大きな距りがあったのではないか。

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2007年10月21日

マカッサルへ戻る

日本で秋の味覚を満喫して、10月19日深夜、一時帰国からマカッサルへ戻った。今回は、デンパサールまでガルーダを利用。デンパサールからマカッサルまではライオン・エアに乗った。

朝、成田空港に着くと、ガルーダのデンパサール行きのチェックイン・カウンターまで長蛇の列。列は隣のキャセイ航空のカウンターをはるかに超えて続く。並んでからチェックインするまで約1時間かかった。

チェックインに並んでいてびっくりしたのは、インドネシア人観光客の多さである。レバラン休暇を利用して、その多くが華人系であるインドネシア人観光客の団体が何組もいる。キャセイ利用で香港乗り継ぎジャカルタ行き、というインドネシア人観光客もけっこういた。

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2007年10月03日

写真ページの更新

これまで使っていた写真ページがプロバイダーの都合で閉じられるため、以下のページに移すことにした。今度は、Flickrを使ってみた。写真の感想など、Flickrにコメントで書き込んでいただけるとうれしい。

新しい写真ページ

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2007年09月13日

スマトラ南西部沖の地震

昨日(9月12日)、スマトラ島南西部ベンクル沖で起こったマグニチュード8.4の地震は、その後、現在に至るまで度々の余震を引き起こしている。

幸い、地殻変動が垂直ではなく水平へ動いたので、震源の深さが2004年12月末のスマトラ沖大地震と同じ10キロだったにもかかわらず、大きな津波は起こらなかった、ということである。しかし、西スマトラ州やベンクル州では多数の建物が壊れ、多くの人々が建物の外で不安な日々をおくっている。

折りしも、12日の晩から断食月の夜の礼拝が始まり、地震はその最中の人々に降りかかってしまったのであった。「聖なる断食月に入るそのときに、なぜ神はこのような仕打ちを我々人間になさるのか」と多くの人々が祈ったはずである。

ジャカルタの邦人関係の方から状況確認の電話をいただいたが、筆者の住む南スラウェシ州マカッサルでは、この地震の揺れは全く感じなかった。ジャカルタは揺れたようなので、心配してくださったのだと思う。スラウェシ島は、真ん中から北および東では結構大きな地震が発生するが、南スラウェシ州のパレパレよりも南、マカッサル周辺ではこれまでに大きな地震が発生したという話を聞かない。地震が少ない場所としてはほかにカリマンタンがあるが、マカッサル周辺も地震が少ないところのようだ。

だから安心!といいたいところだが、逆にいうと、万が一、インドネシアの他の地域より確率はずっとずっと低いにしても、万が一、地震が起こったら、きっと何の準備もできてないマカッサルは大きな被害に見舞われることだろう。やはり、地震がほとんどないマカッサルでも、防災への備えをしておくに越したことはない。

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2007年09月08日

トラジャの稲刈りと田植え

9月1〜3日、日本から来られている大学の先生に同行して、トラジャへ行ってきた。北部の山合いの村では、稲刈りがすでに終わって、穂刈りされた稲が田んぼに放置された状態になっていたが、そのすぐ下の村では、田植えが始まったところだった。

トラジャでは、まだ在来種の稲をアニアニと呼ばれる石器で丁寧に穂先を刈り取る。今回、ちょうどその様子に出会うことができた。




刈った稲は下の写真のようにして、天日で乾燥させる。トラジャの伝統的様式家屋であるトンコナンの北側に位置する穀倉に、これらの刈り取られた稲がたくさん置かれている風景は、トラジャの風物詩といってもよいのだが、今回は時期が悪かったせいか、お目にかからなかった。

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そこから15分ほど下った村では、田植えが始まっていた。苗代を作って、そこから苗を運んで田植えをする。

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トラジャの在来種の稲には、白米以外に黒米や赤米もあり、それぞれウルチ米とモチ米があるという。今はあまり食べることはなくなったというが、儀式などハレの日には黒米や赤米が振舞われるようである。
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2007年08月26日

スンパン・ビタ壁画

来訪中の家族と一緒に、パンケップ県バロッチ郡のトナサ・セメント第1工場の先にあるスンパン・ビタ壁画を見に行ってきた。5000年以上前に描かれたという壁画を見るには、壁画のある洞窟の入口を閉ざす柵の鍵をもっている人と出会わなければならない。我々が941段もある石段を登っていると、一人のおじさんが後からついてきた。柵の鍵をもっているという。おじさんに柵をあけてもらい、壁画を堪能した。

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壁画は岩山の上のほうにある


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舟と思しき壁画


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人間の手の形(左下)と動物


以前、壁画の赤い色が昔よりも濃くなっているという話を耳にしたことがある。そういわれてみれば、5000年以上前のものにしては色が鮮やかなようにも感じる。行政が何らかの細工をしたのであろうか。なお、この壁画に関してはまだほとんど解明されていない様子。どの程度、この壁画に関する研究が国内外で進んでいるのであろうか。

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2007年08月14日

養殖池とともに生きる集落

7月末および8月初めに南スラウェシ州ピンラン県のカッペ集落へ行った。この集落では、FASID海外フィールドワーク・プログラムが実施されており、日本とインドネシアの大学院生ら約20人が、村人の家にホームステイしながら、集落内をフィールドワークする。私もかつて、このプログラムの世話役として2回、学生たちとともに南スラウェシの村へ入ったことがある。

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2007年07月29日

マカッサル市内の田園風景

このところ、ずーっと家にこもりきりで、だんだん精神的に煮詰まってきてしまって、気持ちが後ろ向きになっていくような感じを抱き始めたので、「やばい」と思って、とにかく家を出て、外を歩いてみた。28日の午後、自転車で1時間半ほどの散歩。

コースは、家→テッロ火力発電所前→国家行政院(LAN)の立派な訓練センター→水路沿いの道→バトゥア・ラヤ通り→英雄墓地前→自宅。この水路沿いの道がなかなか面白かった。

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水路を埋め尽くす水草と水路に架かる橋


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2007年07月21日

インターネット

7月17日から我が家のADSLインターネットがつながらなくなってしまった。会社に問い合わせると、故障で順次直していく、とのこと。しかし、結局、21日朝にようやく復活。と思ったら、昼からまたつながらなくなった。今、ちょうど、日本との間で原稿のキャッチボールをしている仕事の締め切り直前で、インターネットがつながらないのは痛い。

ということで、思い切って、Indosat M2の3.5G Broadband Internet Packageというのに加入してしまった。中国製のHSDPAモデムをUSBでパソコンにつなげて、ADSLより早いと謳うインターネット接続ができるそうだ。モデムは、3Gのないところでは通常回線に自動的に切り替わる。これで、インドネシア中、どこへ行っても、Indosatの携帯電話が使えるところでは、インターネットにつながるはず、である。

今はプロモーション中とのことで、200万ルピアする中国製モデムが無料(ただし18ヵ月以内に解約のときはモデムを返却)、私は1ヵ月1.2Gバイトまで使えて35万ルピア、というパッケージに加入した。支払いはクレジット・カード払いである。

さて、ADSLのつながらない我が家で3Gを試してみた。ところが、意外につながらない。モデムとの相性のせいもあるのだろうが、携帯電話のシグナルがいつもは現れない。そして、つながってもすぐ切れる。まだ整備段階なので仕方がないのか。しかし、つながって安定すると、たしかに体感ではADSLよりずっと早い。マカッサルでこのサービスが始まってからまだ1ヵ月。今後に期待したいところだ(実は、この記事も3Gモデムをつなげて書いている)。
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2007年07月15日

ちょっと疲労困憊

7月10〜12日にジャカルタへ出張。10日に5時間、11日にも5時間、私が議長で会議を主宰+ロジ一切を仕切ったので、さすがに11日の会議が終わった途端に緊張の糸が切れ、記憶がスパーッと飛んでしまうような感じになった。

12日深夜にマカッサルに戻ったが、今回はなかなか疲れが抜けない。やるべき仕事や宿題はまだまだ山積。そんな状態なのに、13日は大学で実施されている研修コースで、その研修生である地方政府職員に日本の地域振興について3時間講義をしてしまった。

14日は、この前のブログでお知らせしたとおり、我が家で『メモリーズ・オブ・セレベス』の上映会。来場者は7人と少なかったが、「すべての在留邦人、インドネシア人の方々に観てもらいたい」という感想が出た。

この上映前に、プロジェクターの故障した可能性があるとわかって、代わりのプロジェクター探しなどですったもんだがあった。結局、プロジェクターは故障でないことが判明して一件落着だったが、大慌てだった。

このところ、土日は家にこもって1日パソコンを相手に原稿書き。せっかくマカッサルにいるのに、一体何をしているのだろう、と思ってしまう今日この頃である。
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2007年07月06日

諸悪の根源は学校教育?

勤務先の仕事の原稿が何本もあって、毎日、パソコンの画面を睨みながら、憂鬱で落ち着かなく気分の暗い日々を送っているが、これはどうしても書かなければならないと思って、書く。

インドネシアは今、受験シーズンが終わるところである。高校受験が終わり、昨日、国立大学の入学試験が終わった。

私の運転手の息子が高校を受験して、不合格になった。成績優秀で、運転手の自慢の息子である。10点満点で平均8.9点という成績なので、運転手は自信を持って入れそうないい高校を受けさせた。しかし、合格者発表のなかに息子の番号がない。落ち着かない運転手。事故を起こされてもいやなので、彼の希望にしたがって、いったん、家に帰らせた。そして、戻ってきた彼からいろいろな話を聞いた。

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2007年07月05日

Mochtar Pabottingi氏来訪

7月2日夜、マカッサルに里帰りしているインドネシアの有名な政治学者であるMochtar Pabottingi氏が、ご夫人と一緒に、我が家のあるイニンナワ・コミュニティを訪れ、夜遅くまで若者たちと語り合った。

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Mochtar氏とは、公私共に懇意にしているが、以前から是非我が家を訪問したいという希望を氏が持っており、今回実現した形。我が家に出入りする若者の中には、Mochtar氏のエネルギッシュで理想を失わない著作と姿勢に感銘している者が少なくなく、ショートノーティスにもかかわらず、多数が集まった。

今回はとくにテーマを決めずに気楽に話し合おうという趣旨だったが、主に「政治と文化」の話になった。「文化は政治によって大きく変容する」という氏の議論が火付け役となって、話は、レフォルマシでもスハルト時代の新秩序はそのまま強固に残っている、今の南スラウェシ社会は末端まで新秩序が新たに作られた文化に染まっている、若者は何を今しなければならないか、など、熱い議論へと発展した。そして、氏は、このイニンナワ・コミュニティのような空間が社会全体へ広がっていくことへ期待を表明した。

またここで再会することを約束して去っていったMochtar氏。世代を超えて熱い何かが伝わっていかなければならないことが感じられた。
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2007年07月02日

ホームステイ村構想

3年ぶりに、北ルウ県の村で実践的な食品加工の研修をしているインドネシア人の友人に会って、話をした。彼はサラックやトウモロコシをチップやスナックにするのを専門としており、研修生は南スラウェシ州だけでなく、カリマンタン、ヌサトゥンガラ、パプアからもやってくる。

村にある素材を使って食品加工を行い、少しでも農家所得を上げるのに役立てたい、というのが彼の希望だ。県政府とMOUを結び、包装や最終仕上げ用の設備・機械を県政府に買ってもらい、それを彼の指導する農民グループが活用する、という形で食品加工を進めようとしている。

でも、彼の話で最も面白かったのは、ホームステイ村(desa homestay)構想であった。それは一体何なのか。

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2007年07月01日

ますます拝金主義の気配

スラウェシ政治経済情報ファイルに南スラウェシ住民の金権政治に対する調査結果の数字を挙げておいた(こちら)。

支持率より興味深いのは、金権政治の許容度の高さである。回答者が正直だからなのか、もともと金権体質の土地柄なのか。

なぜそういうかというと、昨晩、婚資が用意できずに恋人と結婚できなかった男のドキュメンタリーを、我が家のウィークエンド映画会で見たからだ。彼の恋人の母親や姉妹の金に対する執着のすごいこと。男が値引きや分割払いをお願いしても、全く取り合わない。額も1億ルピアとかなのだ。この映画の最初の部分で、女性に婚資にいくら要求するかという質問に答える場面があって、その辺にいるフツーの女の子が「5000万」とか「1億」とか平然と言っているのに仰天した。

南スラウェシは、昔からこんなにカネがものをいう社会だったのか。もしそうでなかったとするならば、いったい、いつ頃から婚資の額が急上昇していったのか。つい最近まで、村に入ったりして村人に厚意を受け、そのお返しに現金を渡そうものなら村人が「恥をかかされた」といってカンカンになって怒ったものだが、そんな人々はもういなくなってしまったのだろうか。

私の頭の中では混乱している。同じく昨日のマカッサル市制400周年セミナーで聞いた話と結びつかないのだ。スピーカーの一人がなぜマカッサルは以前栄えたのかについて話をしていた。曰く、マカッサルを通して交易するほうが他都市を経由するよりもコストが安かったから、みんなマカッサルを通して交易をしたがった。パプアの人々は、嘘をつかないマカッサルの商人と交易するほうをティドレの商人より好んだ。ゴワ=タロ王国は、地元の商人と同様に外国人商人にも商売をさせ、一切介入しなかった。敵同士のはずのポルトガル人もスペイン人もマカッサルでは仲良く住んでいた。

今のマカッサルはどうだろうか? 人々は粗野で人をすぐだまし、しょっちゅうデモや暴動があって、外国人が住むのは危ない、なんて話が日本でもジャカルタでも吹聴されているではないか。私の経験からは、そうした世評を注意深く訂正したいのだけれども、是認せざるを得ない部分もないとは言えない。

日本では報道されないだろうけれども、ここの社会は、日本を超えるかのような予想以上のスピードで変わりつつある。そして、11月に予定されている州知事選挙を控えて、拝金主義が日に日に強まっていくような感覚を覚えてしまうのである。
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2007年06月28日

水はあるのに水がない、の顛末

道路工事で水道管が切断された一方、道路工事で排水溝が埋められたところに今どき珍しい大雨で洪水になって水が引かない、という水はあるのに水はない状態の2日目。結論からいうと、夕方までに水道は回復し、排水も徐々に進んだ。

以下、今日の顛末をお知らせする。

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2007年06月27日

水はあるのに水がない

今日2つめのブログ。午後の大雨は夕方になっても止まず、ようやく夜8時過ぎに止んだ。今は一体雨季なのか? 本来ならばもう乾季の真っ只中のはず。そして、我が家の敷地は久々に洪水となった。

さっきの水道管をやられた話の続き。水道管をやられた後、道路工事者は穴を埋めていった。そのとき、道についていた排水溝を外して穴を埋めていったので、我が家にたまった水が流れなくなった。何でこういうときに限って大雨になるのだろうか。恨めしくなる。

我が家の前にあるカフェは水びだしで、若手写真家のNGOであるPERFORMAの部屋やカフェの台所などが浸水した。家の前の敷地は池になり、子どもたちには格好の水遊び場になった。

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でも、我が家の図書館を訪れる高校生らは、ひざ下まで水に浸かりながらやってくる。片側4車線になる予定の大通りは大渋滞である。

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そう、こんなにたくさん我が家に水が溢れているというのに、水道管が切断されたので、家には生活で使う水がないのだ。たまたま、カフェの前の水タンクにはまだ水があるので、それを節約しながら使うことになる。水道管を切断する、と前もって言っておいてくれれば、水を溜めて用意することもできたのに・・・。

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水道管をやられた

一時帰国から戻って、またマカッサルの日常に戻ったところで、いろいろな事件が起こるものだ。

いい事件としては、インターネットのプロバイダを変えて、新しく設置しなおした。思っていたよりも、こちらのほうが快適。前のプロバイダはべらぼうに高くて、すぐに切断するし、雨風があるとつながらなくなる。衛星を受信して使っているので、風や雨でアンテナの向きが変わると、とたんにつながらなくなるのだ。前の会社に「解約する」といったら、「何が問題だったのか手紙に書いて出せ」といわれたので、洗いざらい書いてやった。

悪い事件は、水道管が破壊されたことだ。我が家の前は、片側2車線を片側4車線に拡張する工事をしている。昨日の夜中、掘削車が道の脇を掘ったとき、合わせて、我が家に引き入れている水道管を切断してくれた。ふつう、掘削する前に水道管があることぐらい確認するのが常識じゃないのか。おかげで、それ以来、水が来ない。工事関係者は自分の仕出かしたことを分かっているようなのだが、誰も何も説明に来なければ、修理をする動きすらない。お手伝いに聞いたら、我が家だけではないらしい。隣近所の水道管も同じ運命になり、みんな水が来なくて困っているのだった。

工事関係者からは何も連絡がない。いったい、いつになったら水道が使えるようになるのだろうか。水道が使えるようになったら、またブログでお伝えしたい。

皮肉にも、今日は午後から、雨季の真っ最中を思わせるような、ものすごい雨が降ってきた。本来なら今は、乾季の真っ最中なのだが。

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切断され、曲がってしまった水道管


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2007年06月01日

ライオン・エアの最新機に乗った

5月31日、急遽ジャカルタへ日帰り出張した。前日にGarudaの予約を取ろうとしたらシステムがダウン、しかたなくLion Airで行くことにした。

午前8時のジャカルタ行きに乗るべく、ハサヌディン空港へ。しかし、その便はクンダリから来る飛行機で、クンダリの天候が悪いため、出発時間が午後1時に変更されていた。ジャカルタでのアポの予定は午前11時。まいった。そこで、Lion Airの係員に食いつき、午前9時の便へ変更してもらった。

この午前9時のジャカルタ行き、Lion Airが世界で最初に導入したボーイング737-900ERだった。前向きに考えれば、最新機に乗れてラッキー。エンジン音が他の飛行機と違う。ということは、今まで乗っていたインドネシアの国内線はみんな中古だったということを改めて確認できたわけだ。飛行状態は極めて安定。乗り心地はとてもよい。

しかし、シートは幅が狭く、つくりも簡易だった。Lion Airの仕様で設置されたのだろう、シートはできるだけ簡素に、たくさんの乗客を運べるように、ということだった。シートだけだったら、帰りのLion Airの中古737-400のほうが良かった。もっとも、最新機でも、機内で提供されるのはいつものカップ入りミネラルウォーターだけで、食事は出ない。

そういえば、数日前に、羽田空港の航空券発券システムがダウンして、午後便がすべて欠航になったというニュースをみた。そう、我々がいかに危ういシステムに依存して便利な生活を享受しているか、を思い知らされる出来事だ。インドネシアでは、発券システムがダウンすれば、従業員が汗だくになりながら手書きで搭乗券を発券させ、飛行機を飛ばす。

コンピューターがダウンすると飛行機が飛ばない日本と、ダウンしても何とか飛行機が飛ぶインドネシア。処理する便数の数が日本とインドネシアで大きく異なるのはさておいても、飛行機を利用する側からすれば、手段は何であれ、飛んでくれたほうがいいはずだ。もっとも、運航の安全性はまた違う話になるのだが。
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