寂れた町を活性化させるため、市は1992年に文化センターやスポーツセンターの建設を含めた活性化プランを外部業者に委託して作成します。そこで「最低の商店街」は別の場所へ移転して再編される予定でした。このプランはいわば通常の街づくりプランといえそうですが、住民の反応は「非現実的」と冷淡で、事実上お蔵入りとなりました。
こうなると自分たちでやるしかない。5年間かけて「街の個性さがし」を徹底して行うことになりました。そして、商店街が元気だった昭和30年代をモデルとした個性を生かす方向性が浮かび上がります。折りしも、時代は昭和30年代が日本を覆い始めた頃で、「昭和の町」というテーマが浮かび上がりました。
しかし、相手は生活がかかった商店街で、アソビは許されません。各商店で以前から使っていた器具などの「一店一宝」、店の有力商品である「一店一品」などを含め、また店舗を昭和30年代風に改装するなど、市内のいくつかの通りをモデルとして昭和の町が作られていきました。専門のガイドさんが今日も観光客を案内しています。
商業と観光の一体的発展、観光と定住の両立がこの「昭和の町」の今後の持続性にとっての鍵です。周辺に大型スーパーモールも出店し、地元の人は商店街の外で買い物し、よそからの観光客が商店街へくる、という構造が見られます。まだまだこれから、というのが商工会議所の結論でした。これから「昭和の町」がどう「進化」していくのか、楽しみであると同時に、定住者の視点に立った地に足の着いた展開を期待したいところです。
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