松田和子さん。写真の服もご自分で織られたものです。
松田さんが織った「箭山紬」の作品
松田さんのお話によると、以前は周辺のどこの家でも蚕を飼い、喪服などは自分の家で織っていたそうです。この蚕のいいものは外に出し、余った二級品を糸にして紬に仕立てた、しかしそれは白地の布で、色付けや染めは京都でしていた。紬を一人で織ってきたおばあさんが亡くなり、そこに8年間も出入りして見よう見まねで覚えた松田さんが今から30年ぐらい前に紬を織り始め、当時流行っていた草木染などを取り入れました。
ちょうど一村一品運動が始まった頃で、三光村でも一品を探す必要が生じ、中津の文化人の方がこの松田さんの紬を「箭山紬」と名づけ、三光村の一村一品になった、とのことでした。名づけられたものの、行政からはとくに支援はなく、松田さんは淡々と一人で紬を織ってきたのでした。一村一品運動の現場のもう一つの面を見た思いがしました。
地道にこつこつと紬を織ってきた松田さんのところへは、小学生がそれを見に遊びに来るそうですが、6年生になると「部活で忙しい」といって来なくなるのが残念そうでした。中津の方が織りを学びに来るそうです。
かつてシンガポールにも行ったことがある松田さんは、東南アジアにとてもよい印象を持っておられ、東南アジアの紬や織物にとても興味をもっていらっしゃいました。ご自宅でいただいた甘くておいしい甘柿のお返しに、またインドネシアの織物好きの友人を松田さんのところへ連れて行きたいと思いました。
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