<別府竹製品協同組合の岩尾さん、毛利さんと一緒に>
ザルなどの日用品を生産していたのが、温泉客の目に止まり、関西の花籠や盛りカゴを作る需要が発生して美術工芸への道が開かれたこと、美術工芸が高価値と分かると日用品の価値自体は下がっていないのに相対的に価値が下がったような感覚になり、徐々に日用品生産が下火になっていったこと、1970年代のプラスチック製品の台頭やその後の中国などからの製品輸入に直面して別府竹細工では日用品生産から全面的に手を引いていったこと、中国製品を別府産と偽って販売した地場問屋と生産者の信頼関係が回復していないこと、今では「別府竹細工」という地域ブランドを確立しようとしていること、などの話がありました。
竹とそれ以外の天然素材との融合を試みて外国の天然素材を積極的に利用する商社が、OEMとか開発輸入といった枠組みを超えて、対等な形でさまざまなコラボレーションを行おうとしている姿に、新しい日本の地場産業と国内外業者とのネットワーク作りが益々進んで行きそうな気配を強く感じました。
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