いずれ必ず訪れる日だった。スハルトが大統領の座を降りてから今年で10年が経とうとしている。スハルト時代はもう終わったはずだが、いろいろな意味で、あの時代にノスタルジーを感じる人々は少なくなかった。
そして、スハルトの容体を見ながら、「スハルトの過去の罪を許すべきだ」と主張した人々のなかには、「死を迎える人に鞭を与えるべきでない」という人間的な理由から進言した人々以外に、スハルトの死とともに「スハルトに追随した自分の過去の罪も一緒に流してしまいたい」と心のなかで願った人々も少なくなかったのだと思う。
10年前、スハルトが大統領の座を降りるとき、多くのエリートたちがスハルトを見限り、スハルト一人に罪を帰せようとした。スハルトは、きっと、「それまでの恩を仇で返した」と思ったことだろう。スハルトも彼の家族も、大統領の座を引き継いだハビビとはその後一切会おうとしなかった。病院へ見舞いに来たハビビにも会わなかった。かつてはスハルトの子飼いと称されたハビビに対するスハルトとその家族の怨念が想像できる。
スハルトの権勢が落ち始めたのは妻ティンの死から、という識者が多い。そういえば、ティンが亡くなったのは1996年4月の最終日曜日だった。ちょうど、全国に先駆けて、マカッサル(当時はウジュンパンダン)で学生デモが吹き荒れ始めた頃であった。
スハルト政権の功罪とスハルト自身の功罪は、それぞれ分けて冷静に分析すべきであろうし、現在のインドネシアとそこに生きる人々を振り返る意味でも、様々な研究がなされてくることだろう。
一つだけいえそうなことは、スハルトの死去は、おそらくインドネシアにとってのバパイズム、すなわち家の主たるBapakがすべてを仕切るというやり方、誰かカリスマ性のある1人の人物に政治が左右される時代が終わるのではないか、ということである。スハルトの動静を毎日細かく追っていた20年前の自分の姿を思い出す。
スハルトの死去は、インドネシアにとって不可避であった。多種多様なこの国を30年以上にわたって統治したスハルトの冥福を素直に祈りたい。そして、これが古いインドネシアへの訣別、新しいインドネシアへ向けての転換点になることを、あわせて祈りたい。スハルトが描いていたであろう、幸せで豊かなインドネシア社会の実現へ向けて。
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