ジャヤプラのセンタニ空港で目を見張ったのは、停まっている車の大半が新車だったこと。しかし、空港を出てすぐの橋はこの間の大雨で壊れ、山道を迂回してジャヤプラ市内へ向かった。途中、何度も洪水の跡をみたが、かなりの雨だったと想像できる。でも、ジャヤプラ周辺の大雨は、マカッサルで報道として目にすることはなかった。
知り合いのチェンデラワシ大学の先生にキャンパスを案内してもらった。事務棟からの眺望は見事だった。下の写真は、私がお気に入りのジャヤプラの観光名所、日本の天橋立を髣髴させるような小島が点々と続いて海に浮かぶ。その向こうの山の先はパプア・ニューギニアだ。国境まで車で1時間ちょっと、週末には多くのジャヤプラ市民が買出しに出かけるという。
そして、1995年12月に初めてジャヤプラを訪問して以来、12年ぶりで「パペダ」を味わった。
パペダ(papeda)というのは、サゴ椰子澱粉をプルンプルンの水飴のようにして食べる地元の料理。普通は魚などのスープに、バナナのつぼみや空心菜などの野菜を一緒にして食べる。魚スープには若干酸味が効かせてあり、パペダとの相性が絶妙だ。
これが魚スープに入ったパペダ。パペダを箸でクルクル巻きしてスープに落とす。
パペダの供、野菜炒め。バナナのつぼみと空心菜が美味しい。
南スラウェシ州のルウ地方では、サゴ椰子澱粉を小さく団子状にし、魚(バンテン)と野菜の入ったスープに入れた状態で食べる。これは「カプルン」と呼ばれる。ちなみに、ルウ地方のバリ人移住集落の出身である我が家のお手伝いは、このカプルン作りの名人で、サゴ椰子澱粉が手に入ると、よく作ってもらったものだ。
1995年12月に食べたパペダは、棒状になったもので、串に刺さった香辛料のついた焼き魚と交互にかじりながら食べた。ジャヤプラの港付近をうろうろしていて、道端に座っていたパプア人のおばさんの小さな小さな屋台で買い求め、その場で食べたのだった。
連れて行ってくれたチェンデラワシ大学の先生は、政治学を専攻しているが、パプア人とマルク人との混血で、西パプア州ファクファク出身のムスリム。人柄がよく、人望は厚いが、彼は「パプア人」(orang Papua asli)とは見なされず、前回の州知事選挙で副知事候補に名が挙がりながら、立候補できなかった。
そんな彼が、巨体を揺らしながら、私の目の前でパペダにありつく。彼が小さい頃から食べてきたのは、サゴ椰子澱粉ではなく、米だったそうだ。ファクファクはサゴ椰子澱粉の産地だが、地元の商人はサゴ椰子澱粉を域外に移出し、地元向けには米を売るのだとか。
このパペダ、ジャヤプラでも食べさせる店はほとんどないそうだ。そういえば、ジャヤプラの前に訪れたアンボンでも、以前はあちこちでパペダが食べられたようだが、今はほとんど食べないと地元パッティムラ大学の先生が言っていた。今回食べた店は、華人が古くから経営している安ホテルのレストラン。ジャヤプラを訪れたら、是非必ず寄って、パペダを味わって欲しい。パペダ1皿が2万ルピア、魚スープが4万5000ルピア。これで3人分ぐらいのボリュームがある。
Rumah Makan DAFONSORO
Jl. Percetakan No. 22, Jayapura
Tel. 0967-531695
(Hotel Yasminの並び。Hotel Matoaから一つ東側に入った通り)
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