亡くなった学生は内臓が破裂するほど暴行を受けていたという。驚いたことに、これまでにも何らかの理由で在学中に亡くなった学生が何人もいるというのだ。学校の校内に埋葬されたと思しき場所があるのだが、そこは「スマトラ沖地震で亡くなった犠牲者を埋葬した」などと訳の分からない説明でお茶を濁そうとしてきたという。
今回の事件で、南スラウェシ州出身の在学生21人が事件への関与の疑いで警察の取調べを受け、多くの地方政府が学生を同校へ送ることを取りやめた。大統領は、リャアス・ラシッド元地方自治担当国務大臣を長とするIPDN調査委員会を発足させた。
この事件を眺めていて、インドネシアでも陰湿な「いじめ」が構造的に形成されている様子が見える。校内では、下級生は上級生に絶対服従で、上級生のマッサージをする者と上級生の食事を作る者のみが上級生の暴力から解放される、という。下級生時代に上級生の暴力に耐え、上級生になると下級生に暴力を振るってかつての鬱憤を晴らすのである。今回の加害者の学生もそうだったということだ。
IPDNは、地方役人、とくに郡長(camat)やその下の区長(lurah)になる人材を養成する機関で、1990年代半ばに別の名で設立された。その頃から校内での暴力事件の噂はあり、時々はマスコミでも騒がれたが、数年前に名前をIPDNに替えて、刷新したはずであった。
このIPDNに入るには一応試験があるのだが、実際に試験で入ってくる者は多くないそうだ。県知事や市長が直接内務大臣に電話をし、枠が埋まっていれば新たに枠を広げてもらって、身内や知り合いの子どもを入学させるのである。入学に際しては、多額の資金がIPDN側に支払われる。すなわち、IPDNの学生の多くは、地方政府高官の子どもなのである。
今回の加害者もほとんどが地方政府高官の子どもだといわれる。テレビの討論番組では、内務省の役人や県知事などが懸命にIPDNをかばう姿が印象的だった。自分たちの子どもを優遇し、特権的に扱わせて、卒業すれば、郡長や区長に据える。
IPDNで暴力に耐え、また自らも暴力を振るって下級生を従わせた経験を持つ者たちが、こうして地方行政の末端で住民と直接に接するのである。地方分権化の下、公共サービスの向上が叫ばれているなか、地方行政の末端にはそれと正反対の経験を受けてきた、力づくでいう事をきかせることを肯定するような人材が配置されているのである。これで本当に「民主化」なんて実現できるのだろうか。
「今どき、軍や警察だってそんなことはしない」と揶揄されているIPDN。文民のほうが、より権威主義的になり得る、というか、より権威主義を再生産しやすい、ようである。インドネシアの権威主義体制の遺物がまだまだこんな形で再生産されていたのか、と、改めて感慨にふけるのであった。
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映像を観る限り、教育的な配慮は全くうかがえず、単なるストレス発散のように見える。このおぞましい暴力を受けた学生が、その恨みをより力の弱い下級生へ向けていくのだ。
日頃おとなしくみえる人たちが、突然狂気のようになって・・・。と書いたところで、最も身近などこかの国によく似ているような気がしてきて、ぞっとした。表面的には穏やかな表情なのだが、その裏にストレス、憎悪、体面を汚された怒り、などが底深くしまい込まれているのだと改めて思った。