現地新聞報道によると、この機体はアメリカの会社からリースしたもので、すでに17年(飛行時間4万5371時間)使用されている古い機体だった。実は12月に、私はアダムエア機でマカッサルとジャカルタを往復したが、その機体も相当に古かった。
最初の報道で、機体が西スラウェシ州ポレワリ県の山中で発見され、90人が死亡、12人が生存、と伝えられたが、半日でそれが誤報と分かり、政府関係者が平謝りとなった。そして相変わらず、誤報の犯人探しに忙しく、最初にその話をした村人が新聞上で批判されているが、それならば、それを確認せずに伝えた政府高官やメディアも責められて当然のはずである。
日頃からマカッサルの人々と接していて、思い込みと誤解が甚だしいと感じる。言葉を少し聴いただけで、すぐに相手が勝手に思い込んでしまい、それをその場で修正しないと話が一人歩きしてしまう傾向がよくみられる。新聞記者にもそれが少なくないので、地元紙を読むときには十分注意して読むようにしている。今回の誤報騒動も、その延長線上にあると考えられる。
一刻も早く情報を取ろうとするその姿勢は好感が持てる。しかし、情報というものが早いだけではなく正しくなくてはならない、という基本的なことを真剣に学ぶきっかけになって欲しいと思う。
以前、インドネシア語のkatanya、rupanya、kiranya、kira-kiraを使わないで話をしよう、と提案したことがある。これらの言葉が情報のあいまいさを示し、論理的思考を妨げている、フィーリングでものをいう傾向を助長する、と思ったからである。
それにしても、格安航空会社各社の参入で、かつて旅客船で時間をかけて移動していた人々が飛行機に大挙乗り換え、それが人の移動を活発化させている要因となっているのだが、事故がおきない限り、安全対策は十分に準備され難いものだ。地震や津波の対策をみてもそれがわかる。安全対策をkatanya、rupanyaで済ませないように、しっかりと取り組んで欲しいものである。過ちを決して繰り返さないために、失敗からもっと学んで欲しいものである。
【関連する記事】