「参加型予算」の趣旨は、議会に任せるのではなく、一般住民も予算執行の監視に当たる必要がある、ということで、予算が流用されないようにどう監視するか、ということが主なテーマのようだった。
参加していたのは、ゴロンタロ州ボアレモ県の村長、村役人、村に関わるNGO関係者など。ジャカルタやマカッサルから来たNGO運動家が様々なジャーゴンを繰り出しながら説明するが、参加者は今ひとつ「ようわからん」という感じに見えた。そもそも、なぜ村人が県予算の監視に「参加」しなければならないのか。そんな根本的な疑問を抱きながら、私は「予算、予算っていっていますが、誰のお金の話をしているんですか。村人のお金の話ですか」と質問してしまった。
結局、NGO運動家から訳の分からない説明を受けて、やっぱりこれも政府と同じような「動員」としての「参加」なのではないか、村人の主体性がどこに発揮できるのだろうか、と思ってしまった。納税者意識を脇においての「参加型予算」だったからである。
私はというと、「予算を考える前に村ですべきこと」という題で話をした。参加者が村人だと聞いていたので、まず村のあるもの探しをし、村の誇れるものを見つけ、村の将来の夢とともに様々な村の情報を共有し、その夢の実現のために誰が何をしなければならないか、どのようにするか、という話をして、おカネはどうするか、という話につなげた。地元学という言葉を使わないで地元学の話をしてみたわけである。
「各村に1億ルピアあげるから、用途を村人で考えて使いなさい」というのは最近の県・市政府はどこでもやっている。でも、村のニーズを十分掘り起こさないでやると、「お金があるからこれをしよう(なければやらない)」ということになる。村人の主体性を尊重するには、村のニーズとのつなげ方がより重要になるはずだ。
ところで、以前にこのブログでも紹介したが、ボアレモ県はトランスペアレンシー条例や住民参加条例を制定し、それを誇りにしている。いずれも、世銀の支援でできた条例である。しかし今回、地元NGOからはそれが機能していないという話を聞いた。ワークショップで講演した県開発企画局総務長は「これらの条例を是非皆さんに活用してもらいたい」と強調したが、どうやって活用するかは具体的に触れなかった。また、同条例の監視役であるトランスペアレンシー委員会は非政府人で構成されているが、県から予算が来なくなっている。できた条例は対外的に県の取り組みをアピールできる看板としながら、現場では何も変わっていない、というのがNGOの主張だ。
もっとも、今回参加したNGOは、ボアレモ県知事選挙で当選した現知事に対して反対勢力という話もあり、「やっぱり政治の話かよ」とも思うのであった。
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