ポンディンの先のタナ・トラジャ県ビトゥワンまでは悪路の登坂が約20キロ続くことと、私もウディンさんも足を痛めていたので、徒歩での踏査を諦め、「ハードトップ」と呼ばれるジープでビトゥワンまで2時間かけて進み、そのままマカレからランテパオまで降りて、28日にマカッサルへ戻った。
27日のティンバアンからポンディンまでの緩やかな下り坂は、景色もよく、今回の行程で最も気持ちのよいひとときだった。
沿道の水田風景。水田の中心部の丸い部分では鯉(Ikan Mas)を飼っている。
シナモン(カユ・マニス)を天日干し。ニッケもある。
マワイ村の市で豚肉を売る商人。マワイ村の市は毎週金曜日に立つ。
マワイ村の市でコーヒーの買い付けを行う集荷商人。アラビカ種のコーヒーは、山を越えて、トラジャの日系コーヒー農園へも卸しに行くという。
馬の背にコーヒー袋を括り付けて集荷商人にコーヒーを売りに来た農民。
アレン椰子(砂糖椰子)で作った酒「トゥアック」を市へ売りに行く女性たち。
渓流の音を聞きながら道を下っていく。
夫婦で息の合った村の鍛冶屋。
山道の道中、英語を話す若者に何人か出会った。いずれもバリのウダヤナ大学などで観光について学んだ経験がある人たちだった。バリでトラジャなどへ行く観光客のガイドをしていたが、最近は需要が少なく、バリから戻ってきているのだという。ある者はママサの伝統家屋で来た観光客に説明をし、ある者はジープの修理工場を営む。こうした人材がママサやトラジャには数多く埋もれていることだろう。
折りしも、トラジャでは19〜28日に「トラジャ・ママリ」という一大トラジャ・フェスティバルが開催されていた。これが直接、観光地トラジャの復活につながるとは思えないが、少なくとも何かをしなければならない、という危機意識を共有することに目的があるのだろう。ただ、客が来るのをじっと待ち、その客からどれだけ金を取るか、という発想での観光振興には発展性はないのではないかと思う。
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本日、昼過ぎ頃から妻の実家にてインターネットで無造作に、そして何気なくインドネシアの記事を眺めていた所、偶然にも貴殿のホームページを見つけました。私にとってとても感銘を受ける記事がほとんどで楽しく拝見させて頂きました。
実は私も現在マカッサールの妻の実家に住んでおり、ペテペテの件等、いつも身近で実感している貴殿の記事が大変面白く、そして親近感を覚え、ついつい熱中して読んでしまいました。
そして、なんと驚くことにママサの記事がありました。しかも写真付で!実は私達も来週あたりママサに行くことになっているのです。初めて行くママサがどんな所か興味があった私には写真付の記事が大変うれしかったです。
そしてママサの写真を妻に見せたく、妻の帰宅を待ち、そして妻に写真を見せながら貴殿の事をいろいろ話をしていたところ、突然妻が今日友達のレストランで松井さんに会った、と言ったのでこんな偶然もあるんだ、と驚きを通り越しなぜか感心してしました。
私の妻を覚えていますか?豆乳のことや、メニューについて話したのが私の妻です。貴殿のインドネシア語はとても明確ですごく分かり易い、と感心しておりました。
私も貴殿のイミグレや警察署などの記事を読み、すごい語学力だと感心していました。
ダラダラと長いコメントになってしまい、申し訳ございませんでした。実はホームページやブログ等の書き込みはこれが初めてで、こんなことを書き込んでもいいものか、心配しています。もしもご無礼をお感じになられてもご容赦の程、よろしくお願い申し上げます。
マカッサールは狭い町ですので、いつの日かお会いする機会があるかと思います。そのときを楽しみにしております。
今後も、貴殿の記事を楽しみにしておりますので、これからも私達を楽しませて下さい。よろしくお願いします。
H.Watanabe
健康を患ってらっしゃると聞きました。どうか回復されて、マカッサルでお会いできるのをお待ちしています。今後ともよろしくお願いいたします。