2006年10月22日

ゴロンタロ「灯りの祭典」

10月19〜22日にゴロンタロへ出張した。ちょうどゴロンタロでは、家々や通りに火を灯す「灯りの祭典」、トゥンビロトヘ(Tumbilotohe)が行われていた。

ゴロンタロ語でTumbiloが「灯す」、toheが「明かり」の意味である。インドネシア語でPasang Lampuとも呼ばれるこの祭典は、毎年レバラン(断食明け)の4日前から行われ、今年は10月20〜22日に、ゴロンタロ州全域で行われた。

今年は州全体で500万本を灯すことを目標としたそうだが、実際には689万2000本余りが灯されたと、祭典の開会式で報告があり、インドネシア記録(Rekor Indonesia)に登録されたほか、来賓の観光文化省の高官は、この「灯りの祭典」を国家レベルの観光行事に指定し、国家観光カレンダーに登録することを約束した。

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この「灯りの祭典」の由来については、実はあまり分かっていない。「誰も書かないので俺が書いた」という、ベントール(バイクで走る輪タク「ベチャ」)の運転手から5000ルピアで買った小冊子を参考に、以下、示してみる。

ゴロンタロには、15世紀頃にインドやマレーの出身のグジャラート商人を通じてイスラム教が伝えられた。その頃、住民はまだイスラム教の礼拝の仕方を知らなかったので、商人たちは家々を回って夜の礼拝の仕方を教えた。しかし、家と家との間が離れていて、森の中を通ったりしなければならなかったので、ダマール(Damar)の木を使い、先端の樹脂の部分に火をつけて松明にし、道に明かりを照らした。あるいは、木の枝にダマールの松明(Tohetutuと呼ばれる)をつり下げた。こうして、夜の礼拝が家から家へ伝えられたという。

その後、この松明はさらに変容し、黄色い竹の葉でアリクス(alikusu)と呼ばれるアーチを作り、その柱にサトウキビの茎とバナナを供える。黄色い竹の葉は保護の、サトウキビは乳児が最初に飲むものということから生命の、バナナは実がなる前に枯れないことから生命の、それぞれ意味が込められるようになった。そこに灯りが灯されるのである。

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灯りを灯す際には、ポルトゥベ(Polutube)と呼ばれる小さなトレイにランプを乗せ、バケツとトタブ(Totabu)と呼ばれる洗面器を用意し、灯す前にコーランのなかのAl-Qadr(運命の夜)の一節を読まなければならない。

このように、灯りの祭典「トゥンビロトヘ」は、ゴロンタロの人々にとって、もうすぐレバランという時期にラマダンの意味や価値を確認する儀式としての意味を持っている、といえるかもしれない。

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まだ植えて間もない田んぼに明かりを灯す


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上の写真と同じ場所。灯りが灯った。


現代の灯りの祭典は、ダマールではなく、灯油を燃やして火をつける。栄養ドリンクなどの空き瓶に灯油を注ぎ、そこに芯をつけて、火をつけるのである。

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灯油を瓶に注いで、火をつける準備をする。


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灯油を入れた栄養ドリンクの瓶の先に火がついて燃える。


ゴロンタロ州全体で689万2000本の栄養ドリンク剤の瓶に入った灯油が燃えている、と考えただけで、何となくぞっとする。たくさんの炎はゆらゆら揺れてきれいなのだが、鼻の穴の中は煤にまみれてしまう。環境に優しいイベント、とはいいにくいような気がする。

昨年10月、インドネシア政府が石油燃料価格を一挙に2倍以上に引き上げた際、灯油を大量消費するこの「灯りの祭典」の実施を危ぶむ声もあったと聞く。しかし、実際には、住民が自発的にこのイベントを盛り上げて行ったようだ。あたかも、村ごとに競うかのように、工夫を重ねたそれぞれ独自の灯りの灯し方をしている。そうそう、今年は州から賞金も出るのだそうだ。

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道の両側に高く掲げた光の列(ドゥンギンギ村)。消えた瓶に火をつけ直すのは子供たちの仕事だ。


灯りの祭典にあわせて行われるのが、ブンゴ(Bunggo)と呼ばれる竹筒に火薬を仕込んで火をつけ、その音の大きさを競うイベント。そばにいるとかなりの迫力だ。観客は竹筒のすぐ近くまで寄っていって危なっかしい。

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ゴロンタロ州政府は、この「灯りの祭典」をゴロンタロの観光の目玉にしたい様子だ。きっと、来年は記録更新を狙い、800万本の灯りを灯す目標などを掲げることだろう。でも、本来のこの行事の意味は、静かにラマダンを振り返り、レバランへ向けての気持ちの準備をすることにあるはず。ゴロンタロ市内を離れて、農村部へ行くと、質素ではあるが村の生活風景にしっかりとはまった灯りの列を見ることができる。ゴロンタロ市内で州知事はじめ来賓を招き、盛大に行われたイベントとの差。観光化することで大事なものを決して失わないように、と願わずにいられなかった。

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灯りの中を夜の礼拝を終えて家へ帰る人々。ボネボランゴ県の村にて。


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