家内安全祈願では、イスラム説教師を招くにあたって、決まった料理やお菓子を用意して皿に盛り付けておく必要がある。ムスリムの夫と結婚してイスラムに改宗した使用人のティニさん(もとはバリ人でヒンドゥー教徒だった)は、断食見習い中にもかかわらず、夫の母親や妹たちに応援を頼み、朝からパサールへ買出しに走り、お菓子屋でお菓子を注文し、70食分のNasi Kotak(箱に入った弁当)を用意し、大奮闘して、写真のような料理を用意した。
予定では、1日の断食明けを祝うブカ・プアサを行い、イスラム説教師に祈祷してもらって、皆で食事、という段取りだった。しかし、家の前を通る幹線道路のJl. Perintis Kemerdekaanで、なぜか真昼間から舗装修繕工事を行った関係で、道路が大渋滞となった。普通なら市の中心部から車で20分程度なのに、この日は2〜3時間もかかる有り様だった。それで予定が大幅に狂った。
渋滞の途中で車が動かなくなり、「ブカ・プアサをさせてください」と頼んできたタカラール県へ向かう見ず知らずの一行も交えて、ブカ・プアサを行った。このとき、メイン・ゲストの家主一家はまだ渋滞の真っ只中にいた。
ブカ・プアサは午後5時57分。待てど暮らせど家主一家は来ない。彼らが来ないうちにイスラム説教師に祈祷をしてもらうのは気が引ける。7時を過ぎて、食事をしてしまうよう家主から連絡が入り、集まった近所の人々やNGO関係の若者たちに弁当が配られる。
8時半近くになって、ようやく家主一家が到着。出席者が集まり、イスラム説教師の先導で、家主の挨拶、私の挨拶、NGO関係の若者代表の挨拶の後、イスラム式に祈祷が行われた。
祈祷の後、家主が頼んでいたNasi Tumpeng(イエローライスを先の尖った山形に盛ったもので、下に様々なおかずが盛られる)を家主が切り取り、私の皿におかずとともに盛る(写真)。それを合図に、出席者が次々に皿に食事を盛って食べ始めた。
実はこのときとても恥ずかしい思いをした。家主がNasi Tumpengを頼んでいるとは知らなかったので、大皿をたくさんは用意していなかったのだ。見かねた隣のパンク修理屋のおじさんが、隣近所から何枚も皿をかき集めてきてくれた。「近所づきあいだから」とおじさんは事も無げに言った。
このNasi Tumpeng、もともとはジャワのもの。それがこうしたブギス式の集まりの中に入り込んでいることがとても興味深かった。ティニさんたちはブギスの一族ごとに用意する料理が異なることを気にかけていて、注意深く用意したのだが、家主の「革新的?」な対応に少々驚いた。
宴も終わりに近づき、歓談する出席者から離れ、イスラム説教師は台所へ行き、水を汲んだバケツの上にかぶさるようにして、祈祷を始めた。ルキヤ(Luqyah)と呼ばれる儀式で、家の隅々に残っている魔物を退散させ、家の安全を祈るための儀式である。祈祷の後、家が静まった頃に、スポイトのようなもので家の隅々に水をかけて清めるのである。何だか、神道のお払いを想像させるような行為であった。
こうして、家主一家を交えた自宅お披露目・家内安全祈願は、大渋滞というアクシデントはあったものの、ともかく無事に終わった。
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