10月2日の午後2時半ごろ、私の携帯にイミグレから電話があり、KITASができたので取りに来てよいという。「でき次第できるだけ早く連絡する」とイミグレの職員が言ってはいたが、まさか、本当にイミグレから電話がかかってくるとは思わなかった。Bapak Matsuiと言ってきたし。何時まで可能かと聞くと、3時までとのこと。
急いでイミグレに行き、KITASとBuku Biruを受け取る。そのとき、Kamu dibantuと何度もこれ見よがしに言われた。自分たちの能力不十分でだらだら遅らされたのに、「助けてやった」とよく言うよ。そりゃあ、規則より1日遅れたうえに正規料金しか払っていないわけだから、レバラン前で稼ぎ時のはずの彼らには、嫌がらせの一つや二つを行う動機にはなるだろう。ともかく、これで身分証明書が何もない状態が回避された。
10月3日は朝から州警察へSKLDの申請に行く。3階のIntelpomの部屋であった担当者は、9月25日に総領事館で会った警察官のD氏であった。ジャワ人らしい物腰の柔らかさ、しかし抜け目のなささで、丁寧に手続を進めてくれる。書類が全部揃っており、問題ないので、1階へ行って指紋押捺を受けるように言われる。
1階へ行って指紋押捺するが、部屋の警察官はみな明るく、フレンドリーで、日本に行ったインドネシア人労働者(TKI)の話などいろんな話を聞いてくる。申請書の記入や顔の特徴などチェックされて指紋押捺。イミグレよりも丁寧に取る。「指をそこで洗いなさい」と指されたところにバケツがあり、黒い布が置いてある。「その布はインクで黒いのではないよな」などと声がかかる。すぐに洗剤Wingsが渡されるが、これでけっこうよく落ちる。黒い布は汚れているのではなくて本当にただの色で、それで手を拭き、指紋押捺を帳簿に管理している担当者のところを2人回って、押捺料3万ルピア払い、領収書(手書き)を出してもらう。
指紋押捺の紙を1枚持ってD氏のところへ戻り、簡単な会話の後、「警察がSKLDの提示を求めたらこれを見せなさい」と受取証を出してくれる。受取証には10月6日(金)にSKLD受領可能と明記されている。以上で警察の手続は終了。D氏と携帯電話番号の交換をして暇する。
はっきりいって、警察のほうがイミグレより数段まとも。いつ手続が終わるのか、先がきちっと見えていて、嫌がらせや高圧的な態度がなかった。これも、JICAなどが支援してきた警察意識改革の一環なのか。そう思いたいところだが、単に私とインドネシア語で話すのが面白かったからなのか。
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