12月4〜7日にジャヤプラへ行ってきた。そこの大学で特別講義をするためだった。「分離独立という言葉を安易に放つことによって、自分の足元を見なくなり、地道な地域開発努力を怠ってしまっている」などと辛口の意見も授業で披露してしまった。自分たちの歴史はヨソ者によって蹂躙され、何も残っていない、という彼ら。「ならば、今日の今この時から1日ずつ記録を残し、10年、20年と積み重ねて、自分たち自身の歴史を作っていこうではないか」とも呼びかけてしまった。
パプアの人々の根っ子を生やし、それを育てていくことが、次の、そしてそのさらに次の世代の将来のために必要だということを強調したが、被害者意識に彩られ、手っ取り早く、ヨソ者から獲れるものを獲る、という姿勢を地道な活動へ変化させていくのは、容易ではないと痛感した。
ジャヤプラ中心街をテレビ塔のある丘から眺める
そんな講義の合間に、パプア・ニューギニアとの国境を見に行ってきた。ジャヤプラの手前のアベプラから車で約1時間半。想像以上に舗装がよく、快適なドライブだった。
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