スラウェシ政治経済情報ファイルに南スラウェシ住民の金権政治に対する調査結果の数字を挙げておいた(
こちら)。
支持率より興味深いのは、金権政治の許容度の高さである。回答者が正直だからなのか、もともと金権体質の土地柄なのか。
なぜそういうかというと、昨晩、婚資が用意できずに恋人と結婚できなかった男のドキュメンタリーを、我が家のウィークエンド映画会で見たからだ。彼の恋人の母親や姉妹の金に対する執着のすごいこと。男が値引きや分割払いをお願いしても、全く取り合わない。額も1億ルピアとかなのだ。この映画の最初の部分で、女性に婚資にいくら要求するかという質問に答える場面があって、その辺にいるフツーの女の子が「5000万」とか「1億」とか平然と言っているのに仰天した。
南スラウェシは、昔からこんなにカネがものをいう社会だったのか。もしそうでなかったとするならば、いったい、いつ頃から婚資の額が急上昇していったのか。つい最近まで、村に入ったりして村人に厚意を受け、そのお返しに現金を渡そうものなら村人が「恥をかかされた」といってカンカンになって怒ったものだが、そんな人々はもういなくなってしまったのだろうか。
私の頭の中では混乱している。同じく昨日のマカッサル市制400周年セミナーで聞いた話と結びつかないのだ。スピーカーの一人がなぜマカッサルは以前栄えたのかについて話をしていた。曰く、マカッサルを通して交易するほうが他都市を経由するよりもコストが安かったから、みんなマカッサルを通して交易をしたがった。パプアの人々は、嘘をつかないマカッサルの商人と交易するほうをティドレの商人より好んだ。ゴワ=タロ王国は、地元の商人と同様に外国人商人にも商売をさせ、一切介入しなかった。敵同士のはずのポルトガル人もスペイン人もマカッサルでは仲良く住んでいた。
今のマカッサルはどうだろうか? 人々は粗野で人をすぐだまし、しょっちゅうデモや暴動があって、外国人が住むのは危ない、なんて話が日本でもジャカルタでも吹聴されているではないか。私の経験からは、そうした世評を注意深く訂正したいのだけれども、是認せざるを得ない部分もないとは言えない。
日本では報道されないだろうけれども、ここの社会は、日本を超えるかのような予想以上のスピードで変わりつつある。そして、11月に予定されている州知事選挙を控えて、拝金主義が日に日に強まっていくような感覚を覚えてしまうのである。
posted by daeng at 14:48|
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