2007年02月27日

Coto Makassarは豪牛肉に依存?

2月25日の夜は、我が家でもあるKomutas Ininnawaで、ウルグアイの作家Eduardo Galeanoの女性問題に関する短編エッセイの朗読と、それについての議論をする会が仲間によって催された。

残念ながら、私には別の用事があり、最後にちょっと顔を出せただけだったが、周辺の文学好きの若者たちが最後まで熱心に議論していた。

この場で知り合いになった文化人の一人と、Coto Makassarの話で盛り上がった。彼によると、本来のCoto Makassarは牛肉ではなく水牛の肉を使っていた。今現在、昔ながらの水牛の肉を使ったCoto Makassarを出す店は市内に3軒しかない。

水牛の肉が使われなくなった背景には、肉自体が牛肉より硬いことや、トラジャなどの儀式で大量の水牛が生贄にされることなども関係しているかもしれない。

他の店は牛肉で、しかも安価なオーストラリア牛肉を使っている。オーストラリア牛肉は、他のマカッサルを代表する肉スープであるKonroやSop Saudaraでも使われている。

インドネシアの代表的な健康食であるテンペも、国産大豆より味がいいとされる米国産大豆に依存している。マカッサルの地元料理のCoto Makassarも、いつの間にか輸入牛肉に依存する状態になってしまったということか。日本の食が抱える問題と同様の問題が、ここマカッサルでも急速に進行している感を強くした。

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2007年02月25日

日本文化祭、イ日友好協会

24日は、在マカッサル日本総領事館やハサヌディン大学などが主催した「日本文化祭」を見に行き、夜は。インドネシア日本友好協会(PPIJ)マカッサル支部設立会議に出席した。

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マカッサル学第2回

2月23日に「マカッサル学」の第2回を開催した。この内容については、あいあいネットの以下のサイトを参照して欲しい。

マカッサル学第2回(2/23)

一つ気づいたことだが、私が以前住んでいたJl. Daeng Tompoという通りの名前が、昭和17年時点のマカッサル市内の地図(スラウェシ島情報マガジンから借用。作者不詳)にもDaeng Tompo St.として書かれている。

マカッサル市内のほとんどの通りの名前は、かつてはオランダ名だったのが、日本軍占領期に一部が日本名に変えられ、独立後に改名された。独立後も、とくに1970年代初めのPatompo市長の時代に、地域ごとに動物の名前、鳥の名前、色の名前、などに統一して変えたことで、以前からのそこの土地やコミュニティに由来する通りの名前が消えていったという。その後も、頻繁に通りの名前は変えられて、現在に至っている。

しかし、先のJl. Daeng Tompoはおそらく、オランダ植民地時代から今日に至るまで、名前が変わっていない稀有な通りである可能性が高い。かつて家族と一緒に5年近く住み、とくに1997年9月の反華人暴動のときには近所総出で投石や放火から家を守りきった、あの通りがますますいとおしくなってきた。
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2007年02月18日

我が家は映画館!?

2月17日の「日本映画を観る会」は、40人ほどが集まって「壬生義士伝」を観賞した。私もこれで3度目だが、やはり浅田次郎らしくホロッときてしまう。

映画が終わった後、参加した地元の学生らと議論したが、個人的には、家族のために戦うことと義のために戦うことがすんなりと結びつかないだけでなく、その2つが「死んではならない」という映画の放つ主張ともうまくつながらない、そんな印象を受けた。「芸者は今でもいるのか」「カネ、カネという吉村はインドネシア人みたいだ」といったコメントも出たが、果たして、地元の学生らはどこまで映画の意図を分かったのだろうか。

「壬生義士伝」を観る前に、在留邦人のM夫人の指導で、茶の湯の入門編をデモンストレーションした。

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7ヵ月経ったパニンクル!

インドネシアのマカッサルを中心とした普通の人々の投稿記事で構成されるサイト『パニンクル!』(Panyingkul!)。このサイトが開設されて、7カ月が経った。今では、毎日更新されるほど、盛況なサイトになってきた。

この『パニンクル!』を誕生させた一人である友人のリリ・ユリアンティさんが寄せた『パニンクル!』に関する紹介記事が、以下のサイトに日本語で掲載されている。

インドネシアでの市民ジャーナリズム

なお、この『パニンクル!』から選ばれた記事が日本語訳され、日本貿易振興機構アジア経済研究所の月刊誌『アジ研ワールドトレンド』に2007年3月号から「スラウェシ市民通信」というタイトルで毎月連載される。こちらも乞うご期待。
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2007年02月16日

日本映画を観る会ほか

今週は、ほぼ毎日JICAミッションに同行していて、ブログ更新がおろそかになってしまった・・・。

月例の日本映画を観る会が明日2月17日(土)、我が家で開催される。今回は「壬生義士伝」。映画上映は11時前後からの予定。上映後は、映画についてのディスカッション。

映画の前に、在留邦人のM夫人のご協力を得て、茶の湯の実演・紹介も行う。折り紙体験もある。

1台のプロジェクターと大型スクリーンを用意しただけで、我が家を舞台にした若者の活動がずいぶん活発になった。今週の水曜日には、マカッサルに調査に来ていた私の友人のインドネシア研究者に話題提供してもらって、議論をした。このところ、毎週1〜2回の様々な映画上映が続いている。

<予告>
来週、2月23日(金)夜8時からは、予定通り、「マカッサル学」の第2回を開催する。すでに、何人かが「自分の好きなマカッサルの場所」のタイトルでペーパーを用意している様子。さて、どんな話が飛び出すことやら。
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2007年02月11日

マカッサル市内ホテル情報

最近、続々と新しいホテルが開業しているマカッサル。それらも含めたマカッサル市内のホテル情報を以下のサイトに掲載した。

マカッサル市内ホテル情報

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2007年02月09日

ニャレを見にロンボクへ

2月5〜8日、ロンボク島へ行ってきた。1年に1度だけ現れるというニャレ(Nyale)を見るためである。恥ずかしながら、ロンボク島へ行くのは今回が初めてであった。

毎年、ニャレを見に来ていらっしゃるI先生に同行させていただき、ニャレについて様々なことを教えていただいた。ところで、ニャレとは一体何なのだろうか。

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夜明け前、海岸でニャレを探す人々(2007年2月8日)

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posted by daeng at 02:34| Comment(0) | TrackBack(0) | その他インドネシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年02月05日

1996年のジャカルタでの大雨を思い出す

1月29日にジョグジャカルタから戻ってからというもの、マカッサルは毎日雨季らしい雨が降る・・・などと悠長なことを言っていたら、ジャカルタは連日の大雨で記録的な洪水になってしまった。被災された皆さんの一日も早い回復を願う。

今回は1996年2月以来の洪水というが、そのとき私はジャカルタに住んでいた。しかもその日、大雨の中、ボゴールからプンチャックまで、在ジャカルタの所属先の上司の車で、ジャカルタを訪れた所属先のN理事を案内する役を仰せつかったのだ。

ものすごい土砂降りの雨の中、ボゴール宮殿をN理事と一緒に眺めていた記憶がある。あのとき、大雨の中でN理事に同行し、懇意になったおかげで、私はその後、2度目のマカッサルでの政策アドバイザーの仕事を遂行することができた。結果的には、スラウェシとより深く関わることになるきっかけが、あのときのジャカルタの大雨だったのだ。

ジャカルタの洪水の映像を観ながら、ふとそんなことを思い出した。すでに退職されたN理事には心から感謝している。
posted by daeng at 02:41| Comment(0) | TrackBack(0) | マカッサル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする