2006年10月30日

ママサからトラジャへ(3)

27日は、再び徒歩でティンバアンを朝7時に出て、途中のマワイ村での市場を見たり、水田や渓流の景色を楽しみながら、ママサ県タバン郡の郡庁所在地であるポンディンに12時に到着。ここまででママサから約40キロ歩いたことになる。

ポンディンの先のタナ・トラジャ県ビトゥワンまでは悪路の登坂が約20キロ続くことと、私もウディンさんも足を痛めていたので、徒歩での踏査を諦め、「ハードトップ」と呼ばれるジープでビトゥワンまで2時間かけて進み、そのままマカレからランテパオまで降りて、28日にマカッサルへ戻った。

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27日のティンバアンからポンディンまでの緩やかな下り坂は、景色もよく、今回の行程で最も気持ちのよいひとときだった。

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ママサからトラジャへ(2)

26日は徒歩でママサを朝8時前に出発。ママサの貴族の伝統家屋を見た後で、田園風景を眺めながら、長々と続く登り道をひたすら登り続け、途中で村の人にコーヒーを入れてもらったりしながら午後2時にプンチャック(峠)に到着、その後は一転して急な下り坂をひたすら降りていく。途中で大雨にずぶぬれになりながら、午後4時半にティンバアンに到着し、アムリ・ハウスという民宿に泊まる。

トレッキング・コースという言葉から、森の中の登山道をイメージしていたが、実は、ママサ〜トラジャ間の拡張工事中の道路を歩いていくことになった。

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このルートが20年前には美しいトレッキング・コースだったというが、今では舗装を想定して敷いた砂利がゴロゴロし、何度かの雨期を経てそれがズタズタに剥がされ、幾重もの溝が掘られ、乗用車が通れる道の体をなさない状態になっていた。

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バイクとジープのみが途中で故障する危険を承知で通る道。道幅が広げられ、沿道の木々は切られたので、徒歩で行くと直射日光をまともに受けて暑くてたまらない。

トレッキングを楽しむ観光客の姿が見られないだけでなく、沿線の住民も徒歩で移動する人はほぼ皆無の状態になっていた。実際、「徒歩で来た」というと何人もの沿線の人々に「信じられん」といわれた。

以下は途中で撮った写真から・・・。



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ママサからトラジャへ(1)

レバランの1週間の休みを利用して、知り合いのガイドのウディンさんと一緒に、南スラウェシ州北部のママサからトラジャへトレッキングを試みた。ママサを訪れるのは、1996年6月以来、約10年ぶりである。この間に、ママサはポルマス県から分立し、単独のママサ県を成立させていた。

10月25日の朝7時半にマカッサルを出たバスは、途中でタイヤ交換などしながら、夕方6時にママサへ到着。ポレワリを出たのが午後1時なので、ポレワリ=ママサは約5時間を要したことになる。道は、10年前よりもかなり悪くなった印象だ。舗装区間が少なく、バスの車内は埃だらけになった。

到着したママサでは土砂降りの大雨に迎えられたが、これが乾期の終わりを告げるママサでは今季初めての雨だったそうだ。Matana Lodgeに1泊。この宿は10年前にはなかった。欧米人を当て込んで建てられたMamasa Cottage(10年前に1泊してすごいオーバープライスだと思った)はまだ営業しているが、客足はぱったり途絶えているとのことだった。

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Matana Lodgeから眺めたママサの中心部。

2006年10月24日

『一村一品運動と開発途上国』発刊

日本貿易振興機構アジア経済研究所から、私も編者として加わった『一村一品運動と開発途上国―日本の地域振興はどう伝えられたのか』がこのたび発刊されました。

本書は、昨年度、アジア経済研究所と立命館アジア太平洋大学とで行った共同研究の成果です。内容等については、以下のページをご覧ください。


『一村一品運動と開発途上国―日本の地域振興はどう伝えられたか』
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2006年10月23日

断食明けは23日と24日・・・。

今年の断食明けは一体いつなのか? 実は、直前までいつ断食明けか分からないのである。ようやく、10月22日夜の宗教省での会議で、インドネシア政府は断食明けを10月24日と決定した。全国各地での月の観測結果に基づくもの、としている。

一方、有力なイスラム系団体であるムハマディヤは、その数日前に断食明けを10月23日と決定した。そして今日、ムハマディヤの関係者は断食をやめ、朝に断食明けの大礼拝を行った。

ムハマディヤ以外のイスラム教徒は、それを横目に23日は断食を続けた。

それぞれの立場を尊重する、ということなのだ。これまでにも政府発表の1日前に断食明けしたケースは少なくない。私も以前、1991年の断食明けを西スマトラのパダンで過ごしたが、お世話になったアンダラス大学の先生は政府決定に従ったが、多くの市民は1日前に断食明けしていた。

今回も、23日に断食明けしたイスラム教徒と24日に断食明けするイスラム教徒がいるが、とくにそれを問題にする様子はうかがえない。

ユドヨノ内閣の閣僚のうち、ムハマディヤに所属するスディブヨ国家教育大臣とファディラ保健大臣は、23日に断食明けした。24日という政府発表に従わなくてもよい、のだ。インドネシアの大らかさとアバウトさ。これが長所でもあり、短所でもあるのだが。

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2006年10月22日

ゴロンタロ「灯りの祭典」

10月19〜22日にゴロンタロへ出張した。ちょうどゴロンタロでは、家々や通りに火を灯す「灯りの祭典」、トゥンビロトヘ(Tumbilotohe)が行われていた。

ゴロンタロ語でTumbiloが「灯す」、toheが「明かり」の意味である。インドネシア語でPasang Lampuとも呼ばれるこの祭典は、毎年レバラン(断食明け)の4日前から行われ、今年は10月20〜22日に、ゴロンタロ州全域で行われた。

今年は州全体で500万本を灯すことを目標としたそうだが、実際には689万2000本余りが灯されたと、祭典の開会式で報告があり、インドネシア記録(Rekor Indonesia)に登録されたほか、来賓の観光文化省の高官は、この「灯りの祭典」を国家レベルの観光行事に指定し、国家観光カレンダーに登録することを約束した。

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2006年10月19日

自宅お披露目・家内安全祈願(2006/10/18)

私の借りている家は、マロス県の著名な一族の所有で、彼らは敬虔なイスラム教徒。そこで、イスラムのやり方に則った形で、イスラム説教師を招いて、自宅のお披露目と家内安全祈願の集いを10月18日に行った。

家内安全祈願では、イスラム説教師を招くにあたって、決まった料理やお菓子を用意して皿に盛り付けておく必要がある。ムスリムの夫と結婚してイスラムに改宗した使用人のティニさん(もとはバリ人でヒンドゥー教徒だった)は、断食見習い中にもかかわらず、夫の母親や妹たちに応援を頼み、朝からパサールへ買出しに走り、お菓子屋でお菓子を注文し、70食分のNasi Kotak(箱に入った弁当)を用意し、大奮闘して、写真のような料理を用意した。

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2006年10月17日

お気に入りのCD

10月16日にようやく滞在期間分の家賃一括払いを終えて、何となくホッとした感じがある。そしてちょっと落ち着きを感じ始めた。

数日前に、Disk TaraでKLa ProjectのPasir PutihがCDになっているのを発見、すぐに購入した。1992年にジャカルタに住んでいたときにカセットを購入し、相当に聞き込んだアルバム。保存用にカセットをもう1本買って日本へ帰った。それをMDに落として、東京の自宅で聞くKLa Projectのアルバムの定番になっていた。それが10年以上経ってようやくCDになるとは・・・。東京に残る妻に報告したら、「私のも1枚買っておいて」。

Ruth SahanayaのJiwakuとともに、今、お気に入りのCD。Pasir Putihを聞いているとジャカルタの昔の日々を思い出し、初心に戻れるような気がする。今聴いてもちっとも古く感じない。
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2006年10月15日

子供向け有害番組

15日の地元紙『Tribun Timur』の1面に、南スラウェシ州放送委員会(Komite Penyiaran Indonesia Daerah [KPID] Sulawsesi Selatan)が子供向け有害番組を指定したとの記事があった。

有害番組と名指しされた番組とその理由は、以下のとおりである。

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市バスが復活?

10月14日に市内を走っていたら、市バス(正確には市営ではなく、国営バス会社が走らせている)が動いているのに出くわした。

以前、1990年代の半ば頃に市バスは休止になり、市内の公共交通機関は、ペテペテ(Petepete)と呼ばれる乗合とタクシーになったのだ。市バスが走っているのを見るのは本当に久しぶりだ。

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Jl. Bawakaraeng付近を走る市バス。バスの左の青い車がペテペテ。


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2006年10月07日

水が来ない

マカッサルは、まだ乾期が終わらない。9月23日に着いてからずっと雨が降っていない。そして懸念していたとおり、水が来ないことが最大の問題になった。

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2006年10月04日

イミグレと警察、警察の勝ち!?

ずっとイミグレに待たされた外国人登録証(KITAS)と外国人監視証(POA)は、当初言われた10月3日(火)より1日早く、10月2日(月)に交付された。一方、POAの発行を受けて、10月3日に南スラウェシ州警察に自己報告証明(SKLD)の申請に行ったら、手続はすべて2時間で終わり、10月6日(金)に取りに来るようにとの書類が渡された。
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