今日は、まず国家科学院(LIPI)に到着の報告をし、国家警察での移動証明(SKJ: Surat Keterangan Jalan)を発行してもらうためのレターを作ってもらいました。外国人研究者向けの手続の部屋は、これまでの7階から5階へ移っていました。手数料100ドル(相当額のルピアでもよいそうです)を払い、とくに問題はなかったのですが、私の大親友であるLIPI副長官から「よろしく」との電話をもらっていたことが分かり、協力課の課長に引き合わされ、しばし小1時間ほど楽しく歓談しました。
その後、国家警察へ向かったのですが、外国人管理部局の場所が分かり難く、結局国家警察の建物の周りをぐるりと回って、ちょうど正門の真後ろにある裏側から入りました。「外国人手続」と大きな看板の掲げてある部屋に入り、申請書をもらって書き込んだ後、写真2枚とLIPIでコピーされたパスポートと入国証の写しを提出、5万ルピアを払って、SKJは明日受け取りとなりました。申請書には、1990年に手続したときにあった「1965年9月30日にお前とお前の家族はどこにいて何をしていたか」といった質問は一切なく、極めて事務的にススーッと済んでしまいました。
というわけで今日の手続はここでストップなので、午後はじゃかるた新聞を訪問したり、20年来のお付き合いをしていて、かつてジャカルタ滞在のときに保証人にもなっていただいたハリリ・ハディさん(アジ研初代海外客員研究員でもある)の自宅を訪問し、旧交を温めるとともに、ポーランドやアメリカや日本に滞在した頃の彼の昔話を溢れるほど聞かせてもらいました。1年前に奥さんを亡くし、元気がないのではと心配しましたが、私の前では努めて明るく振舞ってくださいました。間もなく引越しで、料理人がやめていったとかで、同居している娘のエリスが作った夕食をご馳走になりました。ハリリさんは、今の家を購入してくださる方を探しておられるようでした。
ハリリさんの自宅へ行く途中、工事中の箇所をバイクが次々に通り過ぎていく光景(写真)に出会いました。何でも、クニンガンからラグナンまで新たにバスレーンを作るそうで、また渋滞が増える、とタクシーの運転手がこぼしていました。